アルバイト
京都市内のいわゆる観光スポットには、観光客向けに人力車がある。
体格のいいお兄ちゃんたちが、上は前掛けにTシャツ、足袋姿といういかにもそれっぽい格好で引っ張る。
かくいうおれも、大学の頃にはその俥夫のバイトをしていた。
鎌倉や倉敷など、いわゆる古都を中心に支店を置く人力車専門の老舗に在籍し、引っ張っていた。
もちろん、ただ引っ張るだけではない。訪れる旧所名跡の説明をしなければならないし、うまい、あるいは穴場の店を紹介したりもする。
英語や中国語ができればなおいい。その分、時給がアップする。
その為だけにというわけではないが、大学時代、剣道をするかたわら語学の勉強もした。
すでに警察官になることを、それだけを目指していたので、英語と中国語を勉強した。
だから、そのバイトで実践できることは、時給のアップだけでなく、ネイティブやそれらを話せる外国人と直接やりとりができる、という貴重な経験ができた。
俥夫のバイトは、どこかホストクラブっぽいところがある。もちろん、システムに関してである。
所属していた老舗は、web上で各店舗ごとに各々の顔写真を掲載し、英語対応可能、とか選べるようになっている。
かりにイケメンだとしたら、おわかりのように、おば様方に受けがいい。
実際、指名で予約が入る。その分、指名料なるものが追加される。
イケメンであったり、話し上手で観光地の紹介がうまかったりとかすれば、web上で口コミでひろがってゆく。
おば様方だけでなく、若い女の子たちも指名してくれたりする。
うまくいけば、その業界の花形になれるわけだ。
京都は、通年観光時期である。いつでも観光客でいっぱいだ。土日に働くだけで、ずいぶんバイト料が入った。
売れっ子の俥夫になれば、ホスト顔負けに稼げるであろう。
まぁホストの力仕事版、といったところか。
というわけで、そのバイトがあらゆる意味でプラスになった。
金を稼ぐというだけではない。むしろ、それ以外のことで身についたこと、学んだことがおおいように思える。
体力一つとってもそうだ。
人力車をひっぱることで、腕と足腰にずいぶん力がついたのだから・・・。
駕籠はどうなのであろう。
駕籠を担いで軽快に駆ける駕籠舁たちの背をみつつ、つくづくすごいなと感じる。
法被に足袋、草履という格好である。
法被の下で、筋肉が隆々としているのが夜目にもはっきりとわかる。
相当な力自慢に違いない。腰も安定している。
当人に度胸さえあれば、殴ったり蹴ったりという攻撃でも、相手にかなりのダメージを与えることができるであろう。
人力車のバイトをしていたが、駕籠舁のバイトもあるにはあった。
おれが在籍していた店にはなかったが、全国各地には人力車でいけないような、旧所名跡もある。
そういったところには、ちゃんと駕籠屋がある。
日本人は、おもてなしの精神があるばかりか、商魂逞しいというか、兎に角、自分の脚で移動しなくてすむよう、もしくは、当時を体験できるよう、いろいろなパターンが準備されている、というわけである。
残念ながら、いまはもう駕籠どころか人力車もろくに引っ張れないだろうな、と確信にちかいものがある。
大学時代の、体力馬鹿だったころが懐かしい・・・!
などと懐古していると、相棒が低く唸る。
駕籠の真横にぴったり寄り添い、駆けている相棒に視線を向ける。
相棒は黒い鼻先をわずかに宙に向け、においを感じている。
想定している場所に、ちかづきつつある。
島原の店から黒谷までのルートを、昼間のうちにつぶさに調べ、み、しっかりと頭に叩き込んである。
周囲になにもなく、複数の刺客が白刃を振り翳して獲物を襲撃できる場所は、そうおおくない。
幕末期で、現代と比較すれば明かりも建物も人通りもすくないとはいえ、町なかであることにかわりない。
副長は、そこに子飼いの手練れを伏せている。
とはいえ、その数はすくない。
島田と吉村、そして、一番組の古参二名、とたったの四名。
だが、その四名は強い。すくなくとも、おれなどよりかはよほど腕が立つ。
数より質を重視する、副長らしい。
敵は、「四大人斬り」の河上プラス、雇われた浪人たちだという。
それもすでに、山崎が調査済みである。
「主計、田中様はなんとしてでも護り抜く。この意味、わかるな?」
小走りしながら、副長がおれに囁く。
幾度もきかされている、フレーズである。
会津藩の重臣の生命と新撰組の副長の生命、どちらが優先されるか、である。
これは、その当人だけに関係することではない。そこに、政がかかわる。
田中の生命は大切である。その地位も含めて。だが、かといって、副長のそれらもけっして蔑ろにできない。
すくなくとも、おれはしたくない。たとえ隊命であろうとも。
そのさきに、厳罰がまっていようとも・・・。
「承知・・・」
囁き返す。
その想いは、別にして。
「相棒が、察知しました」
そして、告げる。
すこし上がった息を整えながら、副長は不敵な笑みを浮かべる。
「ずいぶんと痛めつけられたって、ええっ?だが、新八は唸ってたぜ。「あいつは狼だ」っていってやがった。まっ、おれにはその意味はよくわからねぇが・・・。「がむしん」を唸らせるだけの腕はあるってこった。自信をもて。それと、無茶するな。おめぇは仲間だが、本物の隊士じゃねぇ。おめぇに、「局中法度」を叩きつけるつもりはねぇ。おめぇには、かえらなきゃならねぇところがある。ゆえに、そんときゃ・・・。いいな?」
曖昧な表現であるが、心底驚いてしまう。
副長みずから、殺されそうになったら逃げろ、と?
仲間だが、本物の隊士じゃねぇ・・・。
そこが一番ショックである。
本物の隊士じゃねぇ、のところにではない。強調された、前半部分にである。
言葉も返せぬまま、ふたたび相棒の唸り声。
同時に、殺気が満ちる。