「大変イタイですので、駆け込み乗車はご遠慮ください」
「すまぬな」
また謝る、局長。
おおきくて分厚い掌が伸び、まずは俊冬を、ついで俊春、おれ、最後に相棒の頭を、それぞれ撫でてゆく。その荒っぽい撫で方には、愛情がたっぷりこめられているような気がする。
「すまぬ・・・。歳を、歳を助けてほしい。あいつを、助けてほしい。なにも気兼ねせず下手な句を詠み、女子にちょっかいをだす。あいつらしく生きてゆけるよう、どうか力をかしてやってほしい・・・」
局長の頼みなど、応じられない。応じたくない。
助けるのは、おれたちではない。
局長、あなたが助けるべきだ。そんな大任、双子もおれも、おしつけられたくない。
いい返したくても、言葉がでてこない。
俊冬、俊春、なにゆえ、なにゆえ、なにもいい返さない?いつものように、おちゃらけたことをいってくれ。
「主計、兼定と組むおぬしが、一番頼りになる。歳も、頼りにしているはず」
ええ?おれが?おれが一番頼りになる?
もしかして、ききちがえたのか?それとも、幻聴?
「俊冬、俊春、だれよりも純粋でやさしく、臆病だが強い子らよ。おぬしらも、つらく苦しいであろうが、いましばらく力をかしてやってくれ」
また、『子』?
なにゆえ、みな、かれらを『子』という?
局長のごつい腕が、三人と一頭の上半身をまとめて包みこむ。
局長の胸はひろく、あたたかい。
いつまでも、こうしていたい。
双子も相棒も、想いはおなじはず・・・。
「おっ、なんだ?」
だみ声とともに、いきなり明かりで照らされたものだから、思わず掌をかざしてしまう。
み上げると、だれかがカンテラを、おれたちの頭上にかざしている。
長身痩躯のシルエットが、明かりの向こうに浮かんでいる。
「この海風のなか、かようなところで座り込んでたら、風邪をひくぞ」
おっしゃるとおりです、はい。
だれだかしらないが、四人と一頭の究極の感動のシーンをみていたのであろうか。
おれたち全員、このシーンに酔いしれていて、だれも気配に気がつかなかった。
だれもが照れ臭そうに立ち上がる。
「はやく下にいって、あったまったほうがいい」
だみ声が、親切にいってくれる。
みると、アンダーシャツに八分丈のズボン姿。
が、上から下まで真っ黒である。この人にもカイゼル髭がある。
ということは、海外留学の経験があるか、経験者に影響を受けているか、であろう。
「なんだ、似てない双子ではないか?」
「肥田艦長」
応じた俊冬の声は、まだ涙声。いってから、ごまかすために咳払いする。
「よくみれば、傷だらけではないか?あぁそうか、喧嘩か?ずいぶんと派手にやったもんだ」
肥田艦長に相貌をちかづけガン見するも、あまりの黒さに判別ができない。
だが、肥田という名はしっている。
肥田浜五郎。この「富士山丸」の艦長である。
勝海舟や小野友五郎とともに、咸臨丸でアメリカに渡り、榎本や沢らとオランダに留学している。
なにより、「日本の造船の父」と呼ばれ、日本の造船技術に多大な貢献をしている。
だが、肥田は、榎本と袂をわかつはず。ゆえに、かれは蝦夷までゆかぬ。
「日本の造船の父」と呼ばれるかれのウイキペディアは、あまり記述されていない。その他の資料もすくない。
そして、かれのウイキペディアによると、かれは、じつに衝撃的な死に方をする。
明治に入ってからのこと。とある駅で走りだした列車に飛び乗ろうとし、失敗して転落。その負傷がもとで、死んでしまう。
駅で用を足していて、その途中で列車が発車してしまったのである。
ちょうどこの時分、列車にトイレの設置を開始した時分である。
かれの事故、それにつづく死が、列車にトイレを設置するのをあとおしをすることになる。
かれは、造船だけでなく、列車にトイレを設置するのにも多大な貢献をする。
写真のかれは、頭髪が後退しているのが残念な感じである。が、実物は、そこそこ悪くない相貌である。
「局長、この「富士山丸」の艦長肥田浜五郎殿です。肥田艦長、こちらは、新撰組の局長近藤勇殿、隊士の相馬主計君」
おおっ!俊冬、やればできるんじゃないか。
いまの紹介の完璧さに、感動す・・・る・・・。
「それと、相馬君のおもり役にして、新撰組の名誉隊士の兼定号」
俊冬には、まだつづきがあった。
局長と俊春が、同時にふきだす。
おれのおもり役の兼定号は、立ち上がると肥田の脚許に移動してお座りし、きりりとした表情で、かれをみ上げる。
肥田の真っ黒な相貌に、真っ白な歯が浮かび上がる。
「釜次郎からきいている」
肥田は両膝を折りながら、こちらに視線をはしらせる。うなづくと、相棒を撫ではじめる。
「毛玉より犬らしくっていい。狼そのものだ」
またしてもでたっ、毛玉!
「故郷では、虎毛の犬を飼っている。頑固だが、勇敢で忠実だ」
「たしか、韮山のご出身ですよね?」
「おお?よくしってるな?」
「ええ、さる筋から」
またしても、webって名の情報である。
「虎毛って、甲斐の犬ですか?」
「ああ。茶虎って名だ。はやく戻って会いたくなってきた。近藤さん、乗り心地はよくないでしょうが、順風満帆、じきに東につきます。はやけりゃ、明日には駿河湾を拝めるでしょう。明後日には品川沖だ」
「いや、なかなか快適なものですな。船旅ははじめてですが、かような形でなければ、愉しめたはずです」
肥田は、立ち上がると局長の肩をぽんと叩く。それから、はっとその掌をひっこめる。
「おおっと、つい。申し訳ない。肩が、黒くなってしまった」
ズボンのポケットからあわてて手拭いをひっぱりだすも、月明かりの下、それも真っ黒に汚れているのがわかる。
「なにもかも、炭で汚れてる」
「いいのですよ、肥田艦長」
局長は、笑って掌をふる。
「機関室から艦橋にいくのに、人声がしたからのぞいてみたんだが。掌を洗ってくりゃよかった」
「ええ?機関室から艦橋って、全部ご自身でされてるってことですか?ワンオペ、いえ、一人でこの艦を動かしているんですか?」
深夜の店舗なら兎も角、艦がワンオペ?
艦って、そんなもんで動くのか?
「まさか」
肥田が笑う。白い歯が、浮かび上がる。
「もともと機関士なもので、機関室におらんと落ち着かぬだけ。釜次郎が、艦橋で番をしてくれている」
さすがは技術屋。造船の父、である。
「そうそう、似てない双子、船酔いで「死ぬ」などと、寝とぼけたこといってる奴が下にいる。悪いが、適当に診てやってくれぬか?船医は、疲れきってぶっ倒れているのでな。では、近藤さん、良い船旅を」
真っ黒な掌で敬礼し、去ってゆく肥田。
さっぱりとしていて、いい男である。なにより、まともである。
結果的に、かれの選ぶ道は、かれ自身にとっても、日本の造船業にとっても、あぁもちろん、トイレ付列車にとってもいいわけである。
かれのひょろ長い背をみつつ、心からそう思う。
同時に、「駆け込み乗車はご遠慮ください」、とも・・・。