局長のぬくもり
気配を消し、すぐちかくにいたなんて。
さすがは局長・・・。
「しかし、二人の膂力だと・・・」
局長は、おれたちの横で両膝をおると、相棒の頭を撫でながら苦笑する。
「案ずるな。ああいうときにつかう力は、別のものだ。それは兎も角、主計、あの二人はなにものだ?」
前半部分も突っ込みたいが、後半部分に驚かされる。
「いや、すまぬ」
その驚きが、表情にでていたのであろう。局長は、おれをみて照れ臭そうに微笑むと、視線を双子へ戻す。
二人は、まだ殴り合っている。なにかをいいながら、泣きながら。が、なにをいいあっているのかまでは、よくきこえない。
「おかしなことを申すようだが、あの二人、歳によく似ているようでな。歳の餓鬼の時分のことを、ふと思いだしてしまう」
「ええっ?副長に?」
「申しておくが、腕は違いすぎるし、姑息で卑怯ってところは別だ、別」
局長まで、おれの心中をよむのか?
ってか、腕や姑息、卑怯ってところは、だれでも思うか・・・。
それにしても、局長まで副長のことを、姑息で卑怯って思ってるところがウケる。
「うまくいえぬのだが、ここの奥底のことだ」
局長のおおきくて分厚い掌が、おれの心臓のあたりに添えられる。
精神?いや、心のことか・・・。
そういえば、井上も似ているといっていた。そのとき、俊冬がめずらしく動揺していた。
きいたことはないが、同様のことを、永倉や原田、斎藤も感じているのだろうか。
もしかして、感じていないのは、おれだけ?
「さて、もうそろそろ充分であろう」
局長は、謎めいた前振りをするだけして、立ち上がるとさっさと双子のほうへといってしまう。
考えもなにもまとまらぬまま、相棒とともに追いかける。
「やめぬかっ!おぬしら、やめよ」
局長が俊冬を羽交い絞めし、俊春からひきはがす。
おれは、俊春の肩をつかむと上半身を起こしてやり、目隠しをとってやる。
華奢な両肩が、激しく上下している。
それは、俊冬もおなじで、局長にうしろから抱かれたまま、肩を上下させている。
「もう充分であろう?」
局長は手慣れたもので、ささやき落ち着かせながら、その場に座らせる。
「昔、歳や総司は無論のこと、新八や左之、平助に斎藤君らが、取っ組合いの喧嘩をしていたものだ。もっとも、かくいうわたしも、歳とよくやってな。そのたび、源さんに仲裁してもらった」
双子は肩で息をしながら、おとなしくきいている。
俊春の相貌のいたるところが切れ、血がにじんだり流れたりしているのが、月明かりの下でもよくわかる。
鼻血もそうだが、口の周囲も血まみれになっている。
目隠ししていた手拭いをみると、それも血で汚れている。
眼前の俊冬も、俊春ほどではないが相貌に血がついている。
「こうした喧嘩は、心を許しあっているからこそできるもの。仲がいい証拠だ」
局長は、懐から手拭いをだすと、俊冬の血をぬぐってやる。
「くーん」
それをみたからではないのだろうが、相棒が俊春の相貌の血をなめようとする。
「まてっ、相棒」
こんないい場面なのに、なにゆえか現実的なことに気をまわしてしまう。
狂犬病をはじめとした注射を、とうぜんのことながらしていない。とくに狂犬病は、噛まれたりなめられたりした人間に、重篤な影響を及ぼす。
いまさらながら、先夜、相棒が噛んだ薩摩藩士のことが気になってしまう。
いやなことだが、これからは子どもらにも注意をはらわねば・・・。
この時代、狂犬病の予防や対処方はない。いまより以前にも、狂犬病は発生していたが、これ以降、海外からもちこまれた犬によって狂犬病がひろがったり、明治期から昭和へとかけて各地で流行する。
日本では、「狂犬病予防法」という法律によって、年に1回の注射が義務付けられている。ゆえに、日本での発症は1950年代以降ない。が、世界にはまだ発生している地域がある。
狂犬病は、犬だけではない。猫や蝙蝠、猿やアライグマなどから感染することもある。
相棒には悪いが、双方のためである。
懐から手拭いをだし、俊春の相貌の血を拭う。
胡坐をかき、その太腿に視線を落とし、おとなしく拭われている俊春。
相棒は、その俊春の横にお座りし、おれをにらんでいる。
ううっ・・・。いろんな意味で、悲しくなってしまう。
悲しみにくれながら、俊春の傷の血を丁寧に拭いつづける。かれは、おとなしくしているが、腿の上で握りしめられている両拳が真っ白になっている。
そっと俊冬をみる。かれもまた、おとなしく局長に血を拭ってもらっているが、腿の上で握りしめられている拳は、やはり真っ白になっている。
「みな、すまぬな。必要以上に、負担と苦労をかけている」
局長は、ひととおり拭いおえるとその場に胡坐をかきつつ、おれたちをみまわす。
双子は、同時にはっとしたように局長へと視線を向ける。
「歳からきいている。本来なら、帝の下で務めをはたすべきところを、われわれにつきあってくれている、と。主計と兼定も、たまたま出会い、こうしてともにいてくれている。縁とは、奇しくも不可思議であり、大切なもの。わたしは、みなのおかげでここまでやってこれた。百姓の家に生まれ、剣術好きがこうじて道場主の養子になれた。そこで、歳や総司や源さん、新八や左之、平助に斎藤君、山南君に出会った。それからは、わたし自身の、というよりかは歳や山南君の力で、京で新撰組の局長になれた。おおくの隊士と出会い、おおくの敵と生命のやりとりをした。そして、おぬしらに出会った。別れもあった。死に別れ、生き別れ・・・。そのどれもが、いまのわたしにはかけがえのないこと・・・」
冷たい海風のふきすさぶ音がすごかったとしても、おれの耳には入ってこない。局長の熱い語りだけが、耳に入り、脳に、精神に、しみわたってゆく。
涙が、頬を伝う。涙でかすむ視線で双子をみると、二人とも瞳を腿に落としているが、おなじように泣いている。
「みな、歳の人となりに魅せられ、ついてきてくれているのであろう?まぁ、勝負に汚いというところと、句作のまずさは抜きにしても、歳には、ついてゆきたくなる、支えたくなる、なにかがある」
勝負に汚く、句作のまずさ、というところで、思わず泣き笑いしてしまう。
「歳は、あいつは、いつも一生懸命になってしまう。自身の意に反してまで、わたしや周囲の為に、鬼になり、それを演じつづけている。つねに精神を痛め、心情を殺し、修羅の道をあゆみつづけている。これよりのちも、そうありつづけ、進まねばならぬ。そのさきになにがあるのか、あるいは、おわりがあるのか・・・」
やはり、局長は自分の運命を予見しているのか?
いや、違う。予見ではない。
『死を覚悟している。死をまっている・・・』