兄弟喧嘩
兵庫、それから紀州由良港で敗残兵をのせ、「富士山丸」は江戸へ向け航行している。
船で東へゆくのは、生まれてはじめてである。
大阪から九州や四国にゆくのは、何度かフェリーに乗ったことがある。それも、最近では新幹線か夜行バス、あるいは、飛行機をつかった。
それは東も同様で、たいていは新幹線をつかう。
船倉の一つを開放し、傷病人以外はそこで眠っている。なかには、通路などでごろ寝している者もいる。さすがに、甲板となると、このくそ寒いなか、海風にあたっていられないはず。配給された毛布一枚では、とてもじゃないが、無理だろう。
船倉に、どのくらいの人数がいるのであろう。
みな、体をまるめて寝転がっている。ゆったりとした姿勢で眠るスペースはない。
息が詰まりそうである。
相棒を連れ、甲板にでてみることにする。
狭い通路には、ところどころカンテラが吊るされている。梯子段をのぼってゆく。
犬には、のぼりはいいが下りはむずかしい。それでも、相棒は、器用にのぼりおりしている。
甲板へとつづく、木製の扉を開ける。
風がきついのか、それは重い。両掌に力をこめ、力いっぱいおしてやっと開く。
最低限の光。だが、頭上に月がのぼっており、満天の星空がひろがっている。
人間の気配を感じる。
こそこそするつもりはないのだが、なにゆえか、こそこそしたくなる。
扉をそっとしめ、気配のするほうへこっそりちかづいてゆく。
その途中、不意に綱がひっぱられる感触が・・・。
「相棒?」
その場に四肢を踏ん張り、動こうとしない。
「どうした?みまわるだけだ。なにもやましくない」
と、なにゆえかいい訳じみたことを口にだしてしまう。
「ふんっ」
相棒が、鼻を鳴らす。
ううっ・・・。ちかいうちに、コンビ解消をいいわたされるかも・・・。
「笑いの一つもとれへん芸人は、さっさとやめて田舎にかえったらええねん」
そして、翌日には、「どうもー。あたらしい相方ですねん」って、俊春が綱を握ってるとか?
そんな絶望的なシーンを思い描いていると、なにごともなかったかのように、相棒がまたあるきだす。
慌てておいかける。
気配は、船尾である。
ここにも、灯火はない。だが、周囲が真っ暗な分、月光があかるく感じられる。
船体が波をきる音が、耳に心地よい。
寒風は、艦的には追い風、おれ的には向かい風。つめたい風が、もろに相貌と体にあたる。
隠れるのに、いやいや、風よけにちょうどいいところがある。
人間のおおきさくらいの木箱である。そのかげに両膝を折り、頭だけだす。
気配は、双子である。
二人とも軍服の上着を脱ぎ、シャツ姿である。
俊春は、こちらに背を向けているが、手拭で目隠しをしている。そのかれより、7~8mほど間を置き、俊冬が立っている。
俊冬は、掌に槍のような細長い棒を握っている。
槍のような、というよりかは槍がわりなのだろう。
通常、槍の練習にはたんぽ槍という練習用の槍を用いる。細長い棒の片方の先端に、タンポがついている。それにより、あたっても衝撃がすくない。
が、俊冬のもつ棒に、タンポはついていない。
双子のことである。おれたちに気がついているはず。それでも、なにゆえか隠れていたい。っていうか、なにゆえか邪魔をする気になれない。
俊冬の気が消える。同時に、槍がわりの棒で突きまくる。
それは、原田よりすさまじく、はやい。
俊冬のくりだす棒を、紙一重でかわす俊春。
どちらも、さすがである。
が、しばらくつづいたのち、俊春のどこかに棒の先端がヒットしたようだ。
俊春の上半身がぐらつく。が、俊冬は、容赦なく攻めつづける。
鬼気迫る、とはこういうことをいうのか・・・。
よけきれぬ俊春を、棒で容赦なく打ちすえる俊冬。
あの俊春が、散々に打たれるなんて・・・。
いや、それ以前に、かれらでも鍛錬するんだ、と当然のことがめずらしく思えてしまう。
双子なら、もって生まれた才能とかセンスとかだけで、強いのかと錯覚してしまう。
「このくらい、よけきれぬのか?無理だ。もうやめておけ」
ささやき声が、寒風にのって流れてくる。
「いえ、やれます」
そして、俊春の苦し気な声も。
俊春の片膝が、床に落ちる。それでも、俊冬は打ちつづけている。
「やれます。やらねばならぬのです」
俊春は、相貌を床に向け、槍でぶっ叩かれながら幾度もおなじことを繰り返す。
「くーん」
相棒が、たまりかねたように甘えた声で訴えてくる。
だが、おれに、なにができる?
「足手まといだ。これ以上、いても役に立たぬ」
俊冬は、弟をぶちのめしながら囁く。わざと、気丈にふるまっているかのようにも感じる。
「うるさいっ!やれるといってるだろうっ!」
一瞬、そのおし殺した言葉に、違和感を覚える。
そのとき、相貌をあげた俊春の掌が、振り下ろされた棒の先端をつかむ。
しかし、俊冬は、あっさり棒から掌をはなし、拳で俊春の相貌を殴りつける。
吹っ飛び、手すりに背をうちつける俊春。俊冬は、その俊春を床に押し倒すと馬乗りになる。
「おまえなど、消えてなくなれ」
馬乗りになったまま、俊春を殴りつづける俊冬。俊春も、必死に抵抗する。 やみくもに拳を振り上げている。そのいくつかは、俊冬の体や太腿ヒットしている。
なにこれ?餓鬼の喧嘩じゃないか・・・?
どちらにしても、かなり派手にやりあってる。とめなきゃ・・・。
立ち上がろうとしたとき、肩にあたたかいものがふれた。思わず、悲鳴をあげそうになる。
「ただの兄弟喧嘩。気のすむまでやらせたほうがよい」
み上げると、バックに月をいただく局長のごつい相貌が・・・。