仕えるべきは・・・
歩をとめていたが、ゆっくりあゆみはじめる。
荷車から、さらに距離をとるためである。
「でっ、尾張公はなんと?」
予想はしているが、きいてみる。
「べつに、なにも。「ご健勝の由、恐悦至極に存じ上げます。ますます、寒さが厳しく・・・」、という時候の挨拶・・・」
「やめねぇか、俊冬」
俊冬にかぶせ、副長が制止する。その切羽詰まった声に、俊冬も俊春も副長に視線を向け、それから、それを地に落とす。
副長のあゆみがとまったので、おれたちもその場にたちどまる。
大坂城が燃えるのをみようと、往来に大勢の人々がでてくる。
「これで、徳川はんの世もおわりやな」
「ほな、つぎはだれがやるんや?」
「あほっ!だれがやったかていっしょや。わしらには関係あらへん」
「ほんまやな。わしらは、わしらの暮らしっちゅうもんがある。武士らの勝手な争いや。ほっとけばええ」
一部の人々が、口々に叫ぶ。
副長が、そちらを睨みつける。
その副長の燃えるような瞳・・・。
そうか・・・。自分は、自覚が足りないことに気が付く。
自分や仲間たちに起こっているすべてのことにたいし、第三者的な瞳でみつめ、感じている。
いや、たしかに、井上が死んだり、山崎や林が傷ついたことは悲しいし、悔しい。
だが、戦に負けたり、こそこそと逃げてゆくことにたいして、悲しかったり口惜しかったりという感情は、ほぼないといってもいい。
すべてをしっているから?こうなることが、わかっているから?
すべてが、自分のしっているとおりにすすんでいることに、安堵している?
「武士がおんで」
だれかの怒鳴り声で、はっとする。
「副長、いきましょう」
副長をうながす。
これだけの人々である。ちょっとした刺激やきっかけで、暴走しかねない。
新撰組だとしられれば、それが引き金になるかもしれない。
トラブルは起こせない。すぐそこに、敵の軍勢がいるのだから。
「くそっ!」
副長お得意の一語。
この一語に、どれだけの感情や気持ちが集約されているか・・・。
「おめぇら、袂をわかつならいまのうちだ。向こうも、おめぇらを頼りにしてるんだろう?おれたちに、気兼ねする必要はねぇ。おめぇらは、充分すぎるほどやってくれた。感謝しきれねぇ・・・」
言葉がとまったのと同時に、またあゆみがとまる。
副長のいうとおりである。正直、かれらがいなければ、ここまでやってこれなかった。
新撰組だけではない。坂本や中岡、おねぇだって、運命どおり、死んだはず。
おれをいじること以外のかれらの功績は、言葉ではいいあらわせない。
くどいようだが、おれをいじる以外のことは、感謝してもしきれない。
もはや、周囲の喧騒は気にならない。涙が自然とあふれ、頬を伝う。
「尾張公は、おっしゃいました」
俊冬ではなく、俊春がいう。
「「岩倉卿よりの言伝を申す。天子様への忠誠と、あたらしき世の統治者への恭順の証に、このまま江戸へ参り、慶喜と抗戦派の首級をあげよ」」
それをききながら、またあるきだす。
「それをおっしゃったのち、尾張公はこうも申されました。「どうせ、おぬしらは、こちらにつく気はあるまい?くそったれの岩倉には、わたしからうまく申しておく。上様のことを、頼みたい。それと、これは私事になるが、弟たちのことを・・・。生命が助からぬのなら、武士らしく果てるよう、尽力してもらえぬだろうか。このとおりだ」そうおっしゃり、われらに頭を下げられました」
尾張公も、領民や家臣だけではない。実の弟たちも助けたい気持ちはあれど、どうにもできずに苦しんでいる。
俊春は、それ以上は告げないが、尾張公の願いを無下にしなかったはず。
「副長、われらは犬。主を護り、仕えます。京の屋敷にて、われらはあなたを主とし、護ることを誓っております。われらの意思は、二度と問われますな。われらは、あなたが護りたいもの、護らねばならぬもの、そして、あなた自身を、全身全霊を尽くし守護いたします」
いつもなら俊冬が、かますシーンである。
それを、俊冬よりおとなしい俊春がいうものだから、余計にぐっとくる。
副長は、またあゆみをとめる。指先が、両方の目頭をおす。涙が、あふれたにちがいない。
副長の両掌が伸び、双子の頭をごしごし撫でる。
双子ともに、髪がはえ揃いつつある。ぱっと見、運動部の部員っぽい。
「馬鹿な子らだ、おめぇらはよ」
副長は、双子の頭を荒っぽく撫でつつ、泣き笑いしている。
頭を撫でられ、うれしそうな双子。
その子どもみたいな笑顔は、陽光の下、きらきらしている。
それにしても、またしても「子」、と・・・。
「子」というのは、副長独自の呼称であって、とくに意味はないのかもしれない。
だけど、かれら以外につかっているだろうか・・・?
「それでだ・・・」
副長はまたあるきだし、なにごともなかったかのようにきりだす。
まだ涙声で、照れくさそうに。
「迷ってる。おめぇらの意見をききたい。まずは、馬、だ。才輔にはああいったが、おれ自身、馬たちが邪魔だからとか、必要でないって思ってるわけじゃねぇ」
安富とのやりとりを、そのときいなかった双子に説明する。
「馬以上に、人間のこともある。山崎、それから、林のことだ。残りの隊士は、船旅に耐えられるだけの体力はあるし、東の出身がほとんどだ。だが、林は無理だろう。そして、山崎は・・・」
「林先生も死ぬことになっているのか、主計?」
「いえ、俊冬殿。じつは、林先生の名は、伝わっていません。ですが、副長のおっしゃるとおり、林先生は船旅に耐えられそうにありませんね」
林は、危篤状態から脱したばかりである。現代だったら、集中治療室から、一般病棟に移れるかどうかの瀬戸際の状態である。
「そうだ、たしか、林先生は雑賀衆の末裔だと・・・」
ふと、思いだす。
「そうであった。銃は、撃たぬと申されておったが、撃てばかなりの腕前であった。それは兎も角、馬も兵庫まで運び、そこから丹波へと考えておりましたが、それならば、紀伊でおろしたほうがいいかもしれませぬな」
俊冬が、副長に提案する。
「丹波か・・・。ならば、山崎も・・・。万が一にも、航海中、なにかあれば・・・。それなれば、山崎も紀伊でおろそう。林の介抱を命じるってていでな」
「ただ、納得するかですね。それと、林先生のところで、隠れる場所があるか・・・」
紀伊でおろしたはいいが、林が天涯孤独で頼るところがなければ、それこそ悲惨である。
「紀伊がだめならば、丹波へ。兵庫までに、なんとか話をせねば。ただ、どちらでおろすことになっても・・・」
俊冬が、視線を副長へと向ける。
副長が、二人に話さねばならぬことである。
「豊玉」と「宗匠」は、大坂でほっぽりださずにすみそうだ。それには、安富も安心するだろう。
「ああ・・・」
副長は、苦り切った表情でつぶやく。
追いついた時分には、小舟に怪我人を乗せおえ、いつでも小舟をだせる準備が整っていた。
が、安富が、荷車に繋がれたままの馬たちの間に立っている。
まだ距離があるのに、馬たちの耳が動いているのがみえる。
「馬の耳をみれば、気持ちがわかる」
そう教えてくれたのが、安富である。
「馬たちも、置いていかれることをわかっている。自分たちのことより、安富先生のことを案じている」
馬の代弁者でもある俊春が告げる。
「くーん」
相棒が、訴えるような瞳で、副長をみ上げる。
「くそっ!わかってる。わかってる。そんな瞳でみるな、兼定。それと、俊春、馬の気持ちを伝えてくれなくていい。ちくしょうめ、艦の連中に、なんていわれるか・・・」
それでも、副長はきっちり話をつけてくれるであろう。
「安富先生ーっ!」
相棒とともに、安富と馬たちに向かって駆ける。
朗報を、伝えるために・・・。