合言葉
裏口からでる。
表に、薩摩の息のかかった目明しがうろうろしているからである。
店の裏木戸にいたるまでに、相棒が物置の裏から音もなくちかづいてき、伏せの姿勢をとる。
建物内の灯火の光を受け、相棒の瞳は、リアルに光っている。
「警戒しろ」
伏せの姿勢で指示をまっている相棒に、親指を立て、一行を指し示す。
刹那、相棒は鼻を高々と上げ、ぴんと立った両耳をぴくぴくさせる。
集中している。このあたりに、怪しげな気配がないかを探っているのである。
おれも同様に集中し、周囲に殺気や害意を放つ者がいないかを探る。
一つだけあったが、それは一行のなかにある。
大石・・・。
すでに、襲撃者を斬る気まんまんである。
相棒と視線があう。
夜目にも、相棒の黒くて深い瞳に、知的で冷静な光がたたえられているのがわかる。
「とりあえず、いまのところはまだ大丈夫なようです、副長」
報告すると、副長は一つ頷く。
「田中様、黒谷までお送りします。おそらく、その道中にあらわれるでしょうから」
田中は、低い笑声を漏らす。
「薩摩っぽも、ご苦労なことだ。たかだか会津藩の家老一人と、そこのお抱え用心棒の副長一人を殺る為に、おおがかりなことよ・・・。おいおい官兵衛、しっかりせぬか?だから連れてくるのは嫌だったのだ。これならば、わたし一人のほうが、よほど戦働きができるにちがいない」
佐川は、へべれけ状態である。右に左に気持ちよさそうにふらついている。
みるにみかねた田中が慌ててちかづき、そのどっしりとした体躯を支えてやる。
「大丈夫、大丈夫・・・。で、刺客はいずこに?」
酔眼を田中に、それから副長に向け、無邪気に問う。
副長が苦笑する。
「まだまだですよ、佐川殿。あらわれるまでに、酔いを醒ましてくだされ。今宵の刺客は、そこいらの雑魚ではありませぬゆえ」
「おう、承知しておるとも「鬼の副長」・・・。そうだ、「鬼と鬼」か。これは、幸先がいい」
「鬼の官兵衛」と「鬼の副長」のことをいいたいのであろうが、幸先がいい、というのはどうであろうか?
突っ込みそうになったのを、必死に我慢する。
「ふんっ」と、大石が鼻を鳴らす。
店の主人が、駕籠を手配してくれた。
裏木戸を開けると、二丁の駕籠がまっている。
駕籠舁たちは煙管をやっていたようだが、裏木戸が開いたのに気がつき、すぐに配置につく。
本来なら、田中と副長がつかうべきなのであるが、佐川はとてもあるけるような状態ではない。
ゆえに、副長があるくことにする。
副長とおれとで、佐川を駕籠に押し込む。体を押し込んでから、どうにか座る姿勢に整えてやる。
その途端、佐川は高鼾をかきはじめる。
なんと豪胆な漢だろう、とつくづく思う。
「これで腕が立たなんだら、とうの昔に改易か、下手をすれば切腹の憂き目におうておったはず」
駕籠の小さな窓を開け、田中が呆れたようにいう。
佐川は、酒のトラブルで会津候から幾度も勘気を蒙っている。
この将来に起こる会津での戦でも、酒を呑みすぎて出撃が遅れ、その所為で敗北する。
会津藩に人材がないから、というわけではない。
武士として、それだけできる男なのである。
「出発するぞ」
副長が駕籠舁たちに告げたタイミングで、おれは相棒に「みはれ」と指示する。
じつは、その一言は相棒にではなく、副長への合図なのである。
駕籠舁たちは雇われている。
おれたちに、ではなく敵に・・・。
それを相棒が気がつき、おれも感じた。
ゆえに、あらかじめ決めていたその合言葉で、堂々としらせたのである。
「まいろうか」
副長がいい、足早に店をあとにする。
副長の言もまた、了解したという合言葉である。