馬と燃える城
「そ、そんな・・・。「豊玉」と「宗匠」を、置いてゆくと?」
「才輔、こらえてくれ。「富士山丸」は、人間を乗せるだけで精いっぱいだ。とても、馬を乗せる余裕はねぇ」
「ならば、わたしは二頭を連れ、陸路、江戸に参ります」
「才輔っ、いいかげんにしねぇかっ」
副長と安富のやりとりを、気まずい思いでみまもっている。
元気な隊士たちは、「順動丸」に乗船するため、すでに宿を発っている。
準備がととのいしだい、さきに出航し、江戸へ向かう。
永倉や原田、島田らがいなくなると、宿はひっそりと静まり返っている。
残るおれたちも、負傷者、病人を連れ、もう間もなく宿を出発しなければならない。
「京屋忠兵衛」の人々に、お礼を述べる。
新撰組をよく思っていないとしても、宿屋の人たちは、別れを惜しみ、激励してくれる。
ちなみに、現代では、チーズを取り扱っている会社の玄関先に、「京屋忠兵衛跡 幕末期新撰組の近藤勇や土方歳三、沖田総司らの定宿であった」と記載されたプレートをみることができる。
そして、局長と副長は、重大な決断を強いられている。
その一つが、新選組のマスコットキャラクターである二頭の馬である。
置いてゆく・・・。
たしかに、艦にのせる余裕はない。
「富士山丸」は、大坂を発った後、兵庫、ついで紀州でも味方を収容する予定になっている。
が、かといって、陸路をゆくのは危険である。
「「豊玉」も「宗匠」も、みなのためにがんばってくれたのです。大坂に放置し、敵に渡すのですか?」
「才輔・・・」
局長はたまりかねたのか、分厚くておおきな両掌を安富の肩に置く。
「なればせめて、引き取り先を・・・。わずかでかまいません。ときをください」
「才輔、われわれにはもはや、わずかなときも・・・」
「局長、お願いします」
安富の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「局長、怪我人を荷車にのせました。すぐに出発できます」
そこへ、沢がやってきた。部屋の入り口で、空気をよんだのであろう。困惑の表情になる。
「才輔、これは命令だ。二頭は置いてゆく。ゆくぞ、出発だ」
そういい捨てるなり、さっさと部屋をでてゆく副長。
「お、おい、歳、いや、土方君・・・。才輔、すまぬな。さぁ、二頭の最後の務め。八軒屋浜まで、ともにすごすといい」
安富の肩を抱くようにし、うながす局長。
がっくりと肩を落とし、男泣きしながら部屋をでてゆく安富。
慌てて追いかける。
八軒屋浜へと向け出発する。それはまるで、葬送の行列のようである。
ふと、大坂城をみたくなったので、うしろを振り返る。
未来でかぞえきれぬほどみた大阪城より、しょぼい大坂城。
それでもそれは、この時代、幕府の、徳川の世の象徴の一つである。
黒煙が、天へとのぼっている。幾筋も。
「みろ、城が・・・」
「城が、燃えているのか」
「おのれ、薩長め。城を、燃やしやがって・・・」
荷車に揺られながら、怪我人たちが口々に呟く。
口惜しさ、悲しみ・・・。いろんな感情が、渦巻いている。
城に火をつけたのは、味方である。だが、なにゆえか、それを告げることができない。
いおうとしたが、いえない。その勇気がない。
いっそ、敵のせいにしたほうがラクである。だれにとっても、納得のゆくことだから・・・。
左掌に握る綱。相棒とのつながりであり、絆。
それは、唯一の慰め・・・。
おれたちは、負けた。尻尾を巻いて、逃げだすのである・・・。
局長は、荷車に寝かされ運ばれる隊士一人一人に声をかけている。
副長は荷車から距離をおき、形のいい顎に指をそえ、あるいている。
眉間に皺がくっきり刻まれている。ときおり、大坂城のほうへと視線を向け、この冬の寒いなかでも艶をたもっている唇をかみしめている。
「メンOーム薬用スティック」でも塗っているのか?それとも、この時代には、真冬でも唇をぷるんぷるんに保つ、知恵袋的方法があるのか・・・。
おれなど、唇も掌もかさかさしているし、腹の皮膚は白くなっていて、褌をさわるたびにぱらぱらと落ちたり、舞い散ったりするというのに・・・。
だが、かかとだけはきれいだ。現代にいた時分より、軽石でこすりまくっていたからである。ありがたいことに、幕末には、人口軽石ではなく天然軽石がある。
凶器になりそうなほど硬いそれは、かかとですら危険なほど角質をきれいさっぱり落としてくれる。
恐ろしいほどに・・・。
ゆえに、かかとだけは、大理石の床のごとくきれいなのである。
「盛りすぎやろ、それ、と申しておる」
「ひえええっ」
ひさしぶりに耳に囁かれ、自分でも驚くほどの悲鳴をあげてしまう。
「おそかったな、二人とも。くそっ、間に合わなかったら、とひやひやしたぞ」
副長が、駆けよりながら毒づく。
そうか・・・。副長のイライラの要因は、双子だったのか・・・。
双子は、幕府側のどこかの隊の軍服を着用している。冬のささやかな陽光が、軍服の金色のボタンをきらきらさせている。
一瞬、洋画にでてくる軍隊の上級将官にみえた。
双子の軍服姿は、それほどさまになっている。
きっとこれも、異世界転生で「将校やってました」、なのであろう。
「盛りすぎとは、なにを盛るのでしょうな、兄上?」
「遅くなりまして申し訳ございません、副長。城の受け渡しの途中に火災が起こり、バタバタしておりました。そのうえ、抜けだそうとしたところに、尾張公に呼び止められましたゆえ」
俊春の疑問をスルーし、「学校のボヤ騒ぎに乗じて抜けだそうとし、校長先生にみつかっちゃった」的にいう俊冬。
そうだ・・・。
尾張公、徳川慶勝が、敵方の代表として大坂城を受けとったのである。
親藩が、という驚きはある。
尾張公や福井の松平春嶽は、幕府側のある意味大物でありながら、じつに柔軟である。
幕府憎し、世を正そう、というような義侠心からというよりかは、領民や家臣を護るため、つねに最善を尽くし、自分の姿勢と信念を貫いている。
結果的に、尾張公が敵についた為、会津候や桑名少将の生命が助かるのである。
なぜなら、尾張公は、かれらの実の兄だから。
尾張公は、敵対した二人の実弟の助命の為、奔走することになる。