降りしきる雨の夜
ここのところ雨つづきだ。訓練も思うようにできず、おれは毎朝夕、相棒を連れて訓練所の周囲をひたすらジョギングしまくった。
相棒の様子がおかしい。どことなく落ち着かないようだ。すぐに外にでたがる。それもあっておれはジョギングしているのだ。
この日、おれは親父の形見である『之定』をビニール製のごみ袋に丁寧に包んで背に負った。いかに警官といえどジョギングするのに携行していいものではない。届け出はしている。が、途中で職質にでもひっかかったら面倒臭い。通常は警察の敷地内か道場でしか振らないが、ジョギングの途中で小さな神社があり、そのお社の軒下に素振りするのにちょうどいい空間がある。その神社は参拝客の姿をほとんどみることはなく、年取った神主はみ知った仲だ。おれはときおりそこで素振りをしていた。
おれはメルカリで購入したブランド物のジョギングスーツの上に合羽を羽織り、相棒には訓練犬用の合羽を着せた。相棒はこれを嫌うので無理矢理着させねばならなかった。それからおれたちは訓練所を飛びだすと最初からペースを上げて走った。
冷たい雨だった。相棒は我慢強くおれの左脚のすぐ斜め後ろ辺りに鼻面を置いて走っている。人通りはない。この辺りは市内でも閑静な住宅街だ。家路を急ぐサラリーマンやOLの姿もない。おれたちは公園の木々を左にみながらひたすら走りつづけた。
走りつづけて三十分は経ったろうか。おれもそろそろ息が上がりつつある。相棒の「はっはっはっ」という荒い息もきこえてくる。雨の降りはさしてきつくはないものの街灯がないのでみ通しはかなり悪い。それでもおれたちは夜目がきく。走るだけなら問題はない。
神社の鳥居を潜って神域に入った。するとおれの視界の隅に相棒の鼻面が映った。おれの腰に結んだリードがぐいと引っ張られた。おれより前にではじめたのでおれは驚いた。
「相棒っ、どうした?落ち着け」おれが声を掛けても相棒は止まるどころかさらに速度を上げた。
「なにかあるのか?待てっ!」
おれは相棒の様子から異常を察知した。相棒の獣の感覚を信じて疑わないおれは、なにか非常事態が発生したのだと直感した。
境内へとつづく石畳の上におれは膝を折って身を低くした。リードを引き寄せる。それから相棒の狼のごとき鋭角的な相貌を覗き込んだ。
相棒と同じく感覚を研ぎ澄ませる。すると雨の音に混じってかすかに物音がきこえてきた。
相棒の鼻面が音のほうに向けられた。すぐにでも駆けだしてしまいそうだ。実際、前脚を抱きとめていなかったら駆けだしていただろう。
「喧嘩か?相棒、気をつけろ。わかったわかった、無茶するなよ。よしっ、ゆけっ!」
おれは相棒の体から合羽を毟り取るとリードから解放してやった。刹那、相棒は黒い大きな弾丸のごとく駆けだした。おれもうかうかしていられない。み失わないよう必死に走った。背に負う『之定』が重く感じられる。
この神社にこれだけの敷地があったとは知らなかった。すいぶんと深い森だ。
おれは走りながら驚いた。いつもは鳥居から境内までしかいったことがない。その裏手を散策したことなどなかった。てっきり寂れた小さな神社とばかり思い込んでいた。
相棒の四本の脚の動きが鈍くなってきた。物音がかなり近くなっている。おれも速度を落とした。気配を消す。呼吸を整えてゆく。同時に掌で左腿を一つ打った。雨音に混じったその音をききわけるのに相棒の耳朶は造作ない。相棒は素直にその場に伏せ、おれが追いつくのを待った。
腰を落として相棒に近づいた。この先はちょうど木々がなく開けているようだ。手前に小さな祠がみえた。
祠?おれは自分で思っておきながら驚いた。苔むした祠などみかけることなどまずない。実際、みたのがいつだったかもわからない。なのにどうしてこれが祠だとわかったのか不思議だった。
相棒が伏せたところが茂みだった。危急の際には物陰で伏せるようにいつもいっているからだ。
「あれはなんだ?」おれは無意識に言葉を漏らしていた。
茂みからみえたものは、着物姿の数名の男たちであった。しかも全員が抜き身を振りかざしていた。