しごき
相対するのは、今回がはじめてではない。
永倉には、幾度か稽古をつけてもらっている。
実戦と稽古の違いを、まざまざと叩きつけてくれたのが永倉である。
永倉は、神道無念流の皆伝である。
素質も、充分にあるのであろう。そもそも、この時代、皆伝なるものは素質のない者がそうそう取れるものではない。
せいぜい目録か、切り紙くらいであろう。
現代でいうところの、初段か1級くらいだろうか。
だが、永倉には素質以上に努力、という言葉が感じられる。
いや、これみよがしに汗を流すというものではない。要領のいい練習を積み重ねた、というのであろうか?
そこに実戦経験が重なり、いまの永倉があるに違いない。
新撰組でだれが一番強いのかという論議を、隊士たちがしているのをときおり耳にする。
それは、後世においてもされる論議だ。
沖田と永倉、この二人がまずあげられる。
不幸にして病に倒れた沖田に対し、永倉は幕末を自分の腕一本で駆け抜け生き残り、明治期も後進の指導にあたったという。
経験が、双璧の間の技量に差をつけたのであろう。
つまり、経験の多い分、死線を乗り越えた分、永倉の腕が上がったというわけだ。
それらを差し引いても、永倉は強い。なにより、駆け引きが巧妙である。
冷静に相手の動きをみ、つねに先の先をゆく。
対するおれは、道場剣術でしばしばお目にかかる後の先に徹してしまう。その方が相手の力を、逆に利用できるからである。
おれ自身、さして体格がいいわけではない。中肉中背、といったところか。
一昔まえの日本人の体格ならまだしも、同世代の剣士たちのおおくが長身である。そして、筋肉質でもある。
そういう相手に対し、攻撃を防ぎつつ反撃するという策で、これまでやりすごしてきた。
永倉と相対し、それらもきっとまぐれ勝ちだったのだ、とつくづく思いしらされる。
正眼に構える永倉に、隙などまったくない。それどころか、そのどっしりとした構えに、威圧されてしまう。
いまにも隙をみつけられ、そこを衝かれそうな錯覚を抱かせてくれる。
癖がまったくないのにも驚く。
癖というものは、流派や個々によって、どうしてもできてしまうものである。
剣先がわずかに右か左かにぶれるとか、振り上げた際に左右どちらかにぶれている、とか。
脚もそうである。左右に開いていたり、逆に内に向きすぎていたり・・・。
その相手の癖を見抜き、そこを衝くのも策の一つ。
もちろん、永倉のように、癖のまったくない者には無効だが。
体格が小柄だからこそ、素早く動くことで相手を翻弄するというのも、おれの得手である。
それもまた、竹刀での試合にすぎぬことを、思いしらされる。
竹刀よりも重い日本刀を、草履を履いて土の上で振りまわす。土台、無理な話であることが、ここにきてわかった。
時代劇や漫画のようにはいかない。
それらは、あくまでも殺陣師による巧妙なチャンバラである。
だが、永倉や吉村は、どっしりとした体格なのに脚捌きが巧妙で、草履だろうが素足だろうが、じつによく動くことができる。
間合いをうまく掴み、自分と相手のそれを測りながら動くそのさまは、まさしく殺陣のようである。
それに、翻弄されてしまう。
「どうした主計、そんなこっちゃ土方さんを護るどころか、土方さんに、あの土方さんに護られなきゃならねぇぞ」
永倉は、苦笑しながらいう。
おれをさんざん翻弄し、体躯を容赦なく打ち、道場の床の上にぶっ倒れたおれをみおろしつつ。
副長の剣の下手さは、かれらの間では周知の事実である。
もっとも、それは、剣術という枠内においてである。いわゆる喧嘩殺法という括りにおいて、副長ほど巧緻な業を遣う者はいないらしい。
禁忌である膝狙いなど、バンバン繰りだすらしい。
「ほら」
道場の天井をみあげたているおれに、差しだされる分厚い掌。
迷うことなく、それをしっかり握る。
「もう一本、お願いします」
よろめきつつ、叫んだつもりである。
「そうこなくちゃな」
永倉が、顔をのぞきこんでくる。
そこには、満面の笑みが浮かんでいる。
ひどい面構えになっているにちがいない。
それからさらに、ずたぼろにされた。