尻えくぼとヴィーナスのえくぼは健在か
そのとき、前方に相棒の姿が・・・。
伏せの姿勢のまま、前進している。その軌道上には、鳶と山崎が・・・。
二人にちかづこうとしている。
ほっとしすぎて、尻餅ついてしまう。
不覚にも、涙が浮かぶ。
「旦那っ!」
鳶の叫び声。
鳶は、俊春と俊冬のことを、以前の呼び方で呼んでいる。
それを思いだすほど、冷静さを取り戻している。
「長州かっ!われは、「狂い犬」。よく狙って撃つがよい。はずせば、わが「村正」が、貴様らの頸を残らず刎ね飛ばすっ!刹那以下の間でな」
鳶の叫びに呼応し、俊春が叫ぶ。
倒れ、地に伏せている鳶と山崎。
鳶は、その山崎を護るようにおおいかぶさっている。
俊春は、その二人と敵兵たちとの間をゆっくりあゆむ。
かれの恫喝は、舞い降る雪よりも冷たく鋭い。
相棒は、鳶と山崎へ向かって匍匐前進しつづけている。
なにをやってる。動け、動いてかれらを護るんだ。
自分を叱咤する。
静寂・・・。
俊春の恫喝の効果かどうかはわからないが、一瞬、銃撃がやむ。
ざっとみたところ、三十名ほどの小隊。
腹ばいになり、やっとのことで匍匐前進を開始する。
袂がまくれあがり、前腕がむきだしになる。砂利が、容赦なく皮膚を裂く。それでも、つづける。すこしずつまえにすすみ、相棒に追いつく。
鳶と山崎。さらに向こう、敵の小隊に向かう俊春越しに、敵が射撃体勢に入っているのがみえる。
敵の小隊との距離は、100メートルもない。
いくら俊春でも、三十丁の銃からいっせいに発射される弾丸を、斬ったりよけたりつかんだり、できるわけない。たぶん・・・。
俊春は自分が囮になり、敵の気をおれたちからそらそうとしてくれている。
鳶と山崎がいる位置から左側に、幕府軍が応戦用につくりかけていたのか、土嚢が積まれている。
ってか、積まれているというよりかは、放り投げられたって感じである。
這いつくばれば、かろうじて頭が隠れる程度。高さにすれば、30センチあるかないか、といったところか。
これぞまさしく、「頭隠して尻隠さず」である。
プリップリのムッチムチの尻なら、土嚢からとびだし、尻に弾丸が当たってしまう。
よし、大丈夫。三人とも小柄である。
三人とも、モデルもびっくりなほど、臀部には尻えくぼが、背にはヴィーナスのえくぼがあるはず・・・。
おれに関しては、幕末にくるまえ、尻えくぼをみた気がする・・・。
くそっ、もっと筋トレしとくべきだった。それに、幕末にきて、太ってしまったし・・・。
ってか、それ、いま考えるべきことか?
こんなときでも、ツッコんでしまうおれっていったい・・・。
兎に角、二人をあの土嚢に連れ込む。
そして、俊春の後顧の憂いを断つ。
「相棒。二人をあそこにひきずりこむ」
相棒と顔を並べ、いいながら指で指し示す。
こちらの動きを察知されれば、向こうは撃ってくる。慎重に動かねば・・・。
雪で濡れた地面。
着物が、泥だらけになっているだろう。相棒の毛皮もまた。
左腰の「之定」が、邪魔である。このときばかりは。
おれたちが接近していることに、鳶が気がついてくれた。
こちらへ視線を向けてきたので、指で土嚢を指し示す。
おれたちの距離は、4~5m。
山崎は、仰向けに倒れている。
意識がないのか、ピクリともしない。
鳶に、口の形だけで怪我はないかと問う。
すぐに、かれは相貌をかすかに左右に振る。それから、指で山崎を示し、表情でまずいっぽいことを伝えてくる。
動悸が、はやまる。
兎に角、いまは土嚢に隠れることが先決。
鳶は、怪我をしていない。山崎だけ引っ張ればいい。
相貌をわずかにあげ、俊春をみる。
さすがである。俊春は、おれたちの動きを察知している。
かれのあゆむ速度が、わずかにはやくなった。