驚愕の敵前逃亡!
俊冬の推察どおり、ここは人っ気がない。
石垣沿いに、ちょうど奥まっている。
角から相貌をだすと、すこしさきに一番櫓をみることができる。
永倉と原田は、並んで石垣にもたれている。双子は遠慮してか、すこしはなれたところに立っている。
「源さんは、死んだんだな」
局長は悟っていたらしい。
向き直るなり、そうつぶやき確認する。
まぁこれだけオーラをだしまくり、空気をかもしだしまくっていたら、それ以外にありえないだろう。
そのつぶやきの答えは、無言。それから、だれかのすすり泣き。
だれかが鼻をすすりあげたが、自分かもしれない。
局長は、あらためてリアルをつきつけられ、ごつい肩を落とす。
ごつい相貌は、悲しげにゆがんでいる。
副長が、業務報告的に告げる。みたこときいたことを、なんの感情のこもらぬ声で。ただ淡々と・・・。
「かっちゃん、すまねぇ。おれたちの兄貴分を、死なせちまった。すべて、おれのせいだ」
副長は、そうしめくくる。それから、相貌を伏せ、唇を噛みしめる。
「歳・・・」
副長にちかづくと、その肩を抱く局長。
「武士として、死ねたんだ・・・。くそっ、かようなきれいごと、くそくらえだな・・・。すまぬ。しばし・・・。わずかでいい、ときをくれ」
局長は、副長の肩を抱いたまま男泣きする。
永倉、原田、斎藤も、それぞれ声をださず、涙を流している。
井上源三郎が、これほど愛され頼りにされていたのだと、あらためて感じる。
「すまなかった。歳、しっかりしてくれ。われわれには、護らねばならぬ隊士が大勢おる」
局長は副長を開放してから、手拭いで涙やら鼻水やらを拭う。
涙声で、被害状況を確認する。
「昨日の朝、上様のご出馬がきまった。大坂城にはまだ、主力が温存されているからな。が、いまだに出撃の命がでぬ。歳、動けそうな隊士とともに、「京屋」にうつるのだ。大坂城は、いっぱいで寝泊まりできそうにない。わたしは残り、怪我人の様子をみながら沙汰をまつ」
「京屋」とは、現代でいうところの天満橋付近にある舟宿、「京屋忠兵衛」のことである。
そこは、新撰組の定宿の一つ。
「今日は、なん日でしょうか?」
すでに、日にちの感覚がない。
昨日の朝、慶喜の出陣宣言をしたという。記憶が正しければ・・・。
「七日だが・・・」
局長の返答。
「上様は、昨夜、城を抜けだし、天保山に停泊している「開陽丸」に乗船されたはずです」
「はあああ?」
みなのハモりっぷりが、素晴らしい。
「でっ、軍艦で、どうやって采配するってんだ?」
副長の不機嫌さは、マックス状態である。
「采配なんてしませんよ。出陣自体、ないんですから。すでに出港し、江戸へ向かってるでしょう」
「はあああ?」
ハモり、ふたたび。
「上様は、会津候や桑名少将、わずかな重臣を連れ、江戸へ退散というわけです。お気の毒な榎本艦長を、大坂城においてけぼりにして」
経緯をしっているおれですら、このあたりの上様の動向は、「謎行動」としかとらえようがない。
それをしらない当事者たちにとっては「意味不明」、もしくは「錯乱」、としかとらえようもないだろう。
事実、局長も副長も永倉も原田も斎藤も、「・・・?」って感じになっている。
一方で、なにゆえか、双子はポーカーフェイスで、余裕をぶちかましている。
「なんでだ?」
副長の立ち直りのはやさは、さすがである。
副長が冷静に問う横で、「上様LOVE」っていうか、「幕府命かけます」の局長は、拳を握りしめ、ワナワナしている。
「謎です。誠のことはわかっていません。京や大坂を、焼け野原にしたくなかったから。あるいは、怖気づいたから・・・。説は、いくつかあります。ですが、戦を回避したい、というのが本音かと。周囲のおおくが主戦論。上様も含め、少数が戦を反対したところで、それに従うわけもありません。だとすれば、自分自身が逃げるしかありません」
おれの推測に、みな、激しく喰いついてくる。
「そもそも、なにゆえ戦に反対する?薩長の連中のいいなりになり、挙句に切腹させられるってか?」
永倉に詰め寄られ、思わず後退してしまう。
「慶喜公は、将軍になどなりたくなかったのではないでしょうか?そして、波風を立てたくない。家茂公にかわり、将軍になった。が、世の情勢は、攘夷やら討幕やらで幕府にとって最悪。あっさり政権を返還したのも、そうすることでおさまるなら、という渡りに船的な気持ちがあったのかもしれません。ですが、周囲はそうはゆきません。あちらもこちらも、一戦まじえ、白黒はっきりさせる気満々。戦をする必要があるのです。あちらのいうことを鵜呑みすることで、生命を助けてもらいたい、という気持ちもあるのかも。くわえて、生母が皇族で、天皇家を重んじているということもあるでしょう」
江戸へ逃げかえった慶喜は、恭順とうたってさっさと謹慎し、事後を勝海舟らに任せている。
そして、あらゆるレッテルをはられはするものの、大正二年まで生き、将軍のなかで最も長寿となる。
「やめやがれ。主計をせめたところで、仕方ねぇだろうが・・・。そういや主計、おれたちが船にのる、みたいなことをいってたな?」
山崎が船上で死んだか、大坂で死んだかもしれないと、告げたときのことである。
「はい。会津候や桑名少将も、なかば騙されたようなかたちで連れてゆかれましたので、新撰組や会津、桑名の藩士や幕臣たちは、ほかの船で江戸へ・・・」
主戦論派である会津候や桑名少将は、おおくの藩士を戦地に残したまま、上様の逃避行に付き合わされている。
「兎に角、おれたちは宿に移る。俊冬、俊春、局長に付き添い、残ってる老中などに掛け合ってくれ」
「承知」
俊冬が応じ、俊春がいまだショック状態の局長に寄り添う。
いまごろ、上様不在が発覚し、城内はパニックになっているかもしれない。