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田舎剣豪 吉村貫一郎

 その日、夜は島原で打ち合わせがあるとかで、おれは相棒とともに副長と出掛ける予定になっている。

  

 朝から相棒の様子がおかしい。そわそわと落ち着きがない。そして、しきりにおれをみている。


というか、おれも心がざわついていて、そんな相棒の様子をみていると、しょっちゅう視線が合ってしまう。


 虫のしらせ、というものであろうか。


 気分を落ち着ける為と、その虫のしらせらしきものの影響を受け、道場に脚を運んでみる。


 相棒には、道場のまえでまっているようにいいつける。


 両局長付きの小姓たちがやってきたら、相手をしてくれるだろう。いや、相手をしてやるであろう。


 相棒も、いい気分転換になるはず。



 この日は、永倉と、監察方の吉村貫一郎よしむらかんいちろうがいた。


 吉村もまた、有名人である。


 新撰組の隊士として大活躍したとか、生き残って、とかではない。


 後世、幾人かの作家が、資料をもとに吉村を描いた作品をつくる。なかには、映画化ものもある。だから有名になる。


 とはいえ、吉村自身の写真は残っておらず、おれの吉村貫一郎像は、映画化されたときに演じた俳優が、そのまま瞼に焼きついているし、その性格キャラクターもそのまま記憶に刻まれている。


 つまり、みた目はかなり格好良く、妻子想いのケチ、というものである。


 ちなみに、小説では、吉村は南部藩を脱藩し、新撰組で稼いだ金を南部藩領内に残した妻子にせっせと仕送りをつづける。その為、金子にきたない。


 結局は、この後に起こる鳥羽伏見の戦いの後、大坂にある南部藩邸に知己を頼って逃げ込み、助けを求めたがききいれられず、なかば強引に切腹させられる。


 そのストーリーは兎も角、実際の吉村は、戦国時代に剣豪塚原卜伝が起こした新当流の遣い手で、新撰組で撃剣師範をするほどの剣巧者である。


 まず、容姿が裏切られた。


 当人の名誉の為にいっておくが、映画は映画、ある程度容姿端麗の俳優を抜擢しないと、映画そのものがヒットしないのは当然のことで、当人にとってはこんなことで一方的にがっかりされるいわれはない。


 そこは、吉村に心中で詫びる。


 ずんぐりむっくりし、顔の下半分が髭で覆われている。ちいさいは、田舎の人特有の柔和な光をたたえている。


 小説とおなじように、左の眼の下に小さな傷がある。


 正直、これには驚いた。


 そして、さらに衝撃的だったのが意思の疎通が難しいことである。

 なにをいっているのか、さっぱりわからない。


 語学においては、一応バイリンガルという領域カテゴリーに属するが、吉村の方言にはまったくついてゆけない。紹介してくれた永倉でさえ、吉村が口を開いてなにかいっても、肩を竦めるか、まったく違う通訳でもってごまかすかの、どちらかである。


 とはいえ、かなり無口な性質たちのようで、一言二言発声する程度である。


 それすらわからないのは、ある意味すごいかもしれない。


 その吉村に、まず稽古をつけてもらう。


 新撰組では、実戦でつかえなくなった刀の刃を挽いたものを練習につかう。とはいえ、それが体にあたれば、相当な打撃を喰らう。


 ゆえに、練習とはいえ命懸けなのである。

 

 それまで、田舎のおじさん然としてた吉村は、刃挽きした得物を構え、相対した瞬間、豹変した。

 そのかわりようは、まるで変身したスーパーヒーローである。


 反則技だ、とクレームをつけたい。


 髭の下に、不敵な笑みが浮かぶ。


「はじめっ!」


 審判役の永倉の号令がかかると、吉村は猫か猿のごとき動きで間合いをおかしてくる。


 下方から繰りだされた一撃は、膝頭を狙ったものである。


 後ろへ飛び退る。文字通り、紙一重でその一撃をかわす。


 吉村の髭面に、意外そうな表情が浮かぶ。


 永倉を窺うと、そちらにも同様の表情が浮かんでいる。


 いつものだったのであろう。おれは、試されたわけか。


 脚を狙うのは、流儀に反する。その禁忌が、すべての流派に通じているというわけではないが、たいていの流派は、それを邪道とする。


 新当流がどういうものかは、まったく予想もできない。が、剣豪が興した流派に、こういった業をいきなり放つものがあるとはかんがえにくい。


 だとしたら、いまのはおれを試す為のものか、あるいは、実戦で編みだした吉村独自の業、ということになる。


 気と息とを整えながら、冷静にかんがえる。


 吉村は、みた目に相反して繊細拙速な業を多用し、おおいに翻弄してくれる。


 道場剣術で、これまで積み重ねてきたものがすべて否定されたような、そんな巧妙さがある。


 ついていけているのかどうかすらわからない。新撰組の撃剣師範に稽古をつけてもらっている、というだけで、よしとしなければならないのであろう。


 脚がもつれ、腕が上がらない。対する吉村は、おれの数倍は脚も腕も動かしている。すなわち、攻勢一方で、おれの方は守勢一方というわけである。


 隊士たちは、自分たちの稽古を中断し、これをみている。


 みな、おれがぼこぼこにされるのを期待しているであろう。


 必死である。せめて立っていようと、必死にがんばる。


「それまでっ!」


 終了の号令が、永倉の口からようやく発せられる。


 実際のところは、十分か十五分か、その程度の時間であろう。


 だが、かなり長い間やられまくったように感じられる。


 刃挽きした得物をだらりと下げ、腰を折って肩で息をしていると、そばに吉村がちかづいてくる。


 つけてもらった練習の礼を失してしまうほど、心身ともに疲弊している。


「いだましねぁ」


 吉村は、わからない言葉をかけてくれる。 


 意味はわからなかったが、慰めの言葉にちがいない。

 それから、おれの肩をぽんと叩き、壁際へとさがる。


「おいおい主計、休んでいる暇はねぇぞ。さっ、つぎはおれに稽古をつけて・・・くれや。いっておくが、おれは吉村先生とちがって、やさしくされるのが苦手だからな」


 床に向けていた視線を向けると、永倉が、刃挽きした刀を掌に立っている。


 マジっすか?


 絶望的だ・・・。


 足許の床板は、相貌かおから滴り落ちた汗で、ウエッティになっている。

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