心よりご冥福をお祈り申し上げます
合流したのは、国道1号線、現代では地下鉄長堀鶴見緑地線と今里筋線が交差する「蒲生四丁目」駅付近。略して「がもよん」。
幕末、そこは蒲生村として古くからある村の一つである。
ここからだと、大坂城まで徒歩圏内。現代でも、バスや地下鉄でゆくより、かえって徒歩のほうがはやいかもしれない。
大人の脚だと、二十分くらいか。
副長は、井上の死を秘匿したまま先行している隊士たちの尻を叩く。
ゴールは目と鼻の先、到着してから、告げるつもりなのである。
七番組の隊士たちは、さすがに付き合いが長いだけあり、なにかを察してる。ちらりちらりと、こちらをチラ見してくるが、気づかぬふりをする。
おれ自身、これだけわかりやすい表情や態度をとるようになっている。だれかにきかれでもしたら、一発でアウト。一発で泣きだしてしまう。
京から落ちてきた、ほかの隊や藩の武士たち。もはや、統率する者はなく、気力も元気もなく、抜け殻のようになって、ただゴールへと脚を動かしているだけ。
血や煤やわけのわからぬものにまみれまくっている。
虚ろな瞳は、この世の終焉を迎えたかのようである。あるいは、すべての不幸を背負ってしまったかのような・・・。
「見廻組、ありゃどうなった?否、どうなるんだったか?」
まえをゆく副長が、奇跡的に思いだしたかのような口調できいてくる。
ちょうど、大坂城がみえてくる。
現代のそれとは違い、しょぼい。ここも、大坂夏の陣につづき、燃え落ちる。
150年後、エレベーターやらバリアフリーやらになっていて、おおくの資料の展示、挙句の果てにはコスプレして記念写真のコーナーまであるとは、だれも信じないだろう。
おれですら、「たった150年で、そこまで変貌を遂げるか?」、といいたくなる。
「佐々木只三郎が、撃たれて重傷を負います。かれらは、陸路紀州へ向かい、そこから船を調達して江戸へ向かいます。残念ながら、佐々木は紀州で亡くなりますが。見廻組は解隊、残りの隊士はいっとき狙撃隊かなにかの名称で活動しますが、それもなくなります。あの今井は、ほかの幕臣たちと最後のほうまで戦います」
泰助を背負いなおしつつ、思いだせるかぎりを説明する。
「そりゃ気の毒だ」
「残念だな」
「冥福を祈ってやらんとな」
「南無三」
副長、永倉、原田、斎藤・・・。
ちっとも哀悼っぽくない。ってか、たぶん、まだ生きてる・・・。
このあたりは略して城公園、大阪城公園のあたりかと、現代と比較してしまい、ついきょろきょろしてしまう。
大阪ビジネスパークからあるいて数分。
環状線「大阪城公園駅」が、一番ちかい。
ちなみに、大阪環状線は十九駅あるが、発車のメロディーが各駅それぞれユニークである。
「大阪城公園駅」は法螺貝。大坂の陣にちなんでのことであるが、大阪城をみながら、けっこう、戦国の世に浸れるメロディである。
「新今宮駅」の、ドヴォルザークの「新世界」。これは、駅のすぐちかくに新世界があるから。
串カツのおいしい店がある。「ソースの二度漬け」はご法度である。
あかん。串カツ食べたなる・・・。なーんて、マジで思う。
ほかにも大阪出身の歌手の曲や、地名にちなんだり、と発車メロディをきくだけでも愉しい。
もっとも、わざわざ乗車せずとも、「YOUTUBE」できくことができるので、便利なものである。
大阪城ホールは、京セラドームと並び、コンサートやイベント、ライブがおこなわれる会場の片翼を担っている。
剣道場や弓場などもある。それから、大川を巡る水上バスの乗り場も。
夜などはライトアップされた大阪城をみながら、イタメシやコーヒーも味わえる。
大阪城じたいもだが、周囲もずいぶんと様がわりしてゆく。
なーんにもない。幕末には。かえってさっぱりする。
大坂出身の山崎の案内で、裏、なんだろうか。ほかの団体からはずれ、違うルートをとる。
しばらくあるき、極楽橋がみえた時点で、やはり裏、搦手側であることに確信する。
右前方にみえるのは、山里曲輪のあった石垣。
幕末より約250年ほどまえ、徳川勢に負けて豊臣秀頼と淀殿が自刃した場所。
大坂の陣である。
そして250年後、徳川幕府はなくなり、敗者としてこれより坂道を転がり落ちてゆく。
この大坂城もまた、そのキーアイテムの一つとなるのである。
「おっ!こんなとこにも兵がいるのかい?」
威勢のいい江戸っ子言葉。
崩れた石垣の上に軍服姿の男が立ち、新撰組をみおろしている。