生存説
俊春の体の傷については、なにも問わないでおく。
異世界転生か異国かで、傭兵でもやってたんだろう。
心理状態についても同様である。
きける雰囲気ではない。
なにもきいてくれるな。
ふれてくれるな的なオーラが、でまくっているから。
豊後橋は、現在の観月橋である。
いまの観月橋ができたのは、1975年だったか?二階建ての構造になっている。
幕末期には、豊後橋と呼ばれている。そして、この鳥羽伏見の戦で、焼け落ちるのである。
あたりはすっかり暗くなっている。
耳をすましても、戦の音は遠くにもちかくにもきこえてこない。
ささやかな星あかり。そこかしこに、硝煙がたちのぼっているのがかろうじてみえる。
いろんなものが焼けたのあとのにおい。
そして、血と死のにおい。
鼻が麻痺してしまっている。そして、自分自身の感覚も・・・。
宇治川の土手のシルエットがみえる。
そのとき、左すぐうしろにいる相棒、横にいる俊春が反応する。
「副長たちのようだ」
俊春の指先が、前方をさす。すると、闇のなかから人影が幾つか浮かび上がる。こちらへ、向かってくる。
「無事、怪我人を舟にのせることができたんですね」
俊春にいったつもりだが、かれは無言のままなにもかえしてこない。
不安になってしまう。
「主計・・・」
俊春が肩を掴んでくるので、あゆみをとめる。
その掌が、震えていることに気がつく。
ますます不安になる。
月は、でていない。雲にかくれている。星々だけである。それでも、現代にくらべれば、だれがいるのかはわかるほどの明るさはある。
先頭に、副長と山崎が肩を並べている。
山崎は、しっかりと自分の脚であるいている。
ほっとする。心から、ほっとする。
そういえば、山崎には生存説がない。あるのかもしれないが、web上でもお目にかかったことがない。
銃で撃たれたのち、富士山丸で江戸へ向かう途中、紀州沖で亡くなって水葬されたという説、大坂で亡くなったという説、どこで死んだかすらはっきりしていない。
原田のように、単独行動の上で死んだというのなら、不明であってもおかしくないであろう。だが、山崎の場合、みんないたのである。
それなのに、どこで死んだのかわからないとか、ありえない。
そんなことを考えていると、かすかなすすり泣く声がきこえてくるのに気がつく。
しかも、複数・・・。
左側で、相棒が「くーん」と悲しげな鳴き声をあげる。
そのあまりにも悲しげな声に、副長と山崎のうしろにつづく者たちを確認してしまう。
永倉、原田、市村に田村に泰助・・・。
井上がいない。いや、先行した俊冬も・・・。
すすり泣きは、子どもたちである。泰助を真ん中にはさみ、市村と田村が泣きながら、やはり泣いている泰助に話しかけている。
「副長・・・」
近間に入る手前あたりで、声をかける。
肩にある俊春の掌は、いまだ力がこもったままである。
その冷たさが、着物をとおしてでも感じられる。
兄とおなじく、冷え性に違いない。
「くーん」
相棒が、また悲しげな声でなく。みおろすと、相棒がみあげている。
頷くよりもわずかにはやく、相棒はとことこと子どもらに向かってゆく。そして、泰助のまえまでゆくと、そこにお座りする。
その瞬間、泰助が相棒に抱きつきわんわん泣きだす。
それが引き金になったのか、永倉も原田も斎藤も山崎も、泣きだした。声を殺すことなく、男泣きする。
副長に、視線を戻す。
「くそっ・・・。すまねぇ・・・」
毒づき、謝る副長・・・。
それから、すらりとした指先を目頭にあて、すすり泣く。
「なんでだ?くそっ!なんで・・・」
幾度も幾度も呟く原田・・・。
俊冬は、薩摩の軍服を活用し、舟と、それを操る船頭を手配した。
怪我人を連れ、豊後橋に向かっている途中、淀のほうから引き揚げてきたであろう敵の部隊に遭遇した。
俊冬がいれば、どうにかなったであろうか?
永倉、原田、斎藤が、殿を引き受けるというのを、井上がそれをかってでたらしい。
反対する三人。無理にきまっている。三人でも、うまくやりすごせるかどうかわからぬ状況で、ただ一人、井上が防ぎきることなど、無茶ぶりもいいところだ。
だが、井上は一人残った。
副長が許可し、命じたからである。
豊後橋で舟とともにまっていた俊冬は、それをきくなり助けにはしった。
そして、副長らが怪我人をどうにか舟にのせ、それをみ送った時分、俊冬が戻ってきた。
井上の遺体を、背に負い・・・。