開戦とほっぺの米粒
慶応四年(1868年)一月三日、開戦。
鳥羽・伏見の戦いをかわきりに、翌明治二年(1869年)五月まで、戦いはつづく。
戊辰戦争である。
はじまりは、鳥羽街道の小枝橋付近。
大目付滝川具挙率いる幕府軍が、鳥羽街道を封鎖する薩摩藩と押し問答状態になり、不意打ちを喰らう。
薩摩藩は、準備万端。てぐすねひいてまちかまえていた。
が、幕府側は危機管理に乏しすぎ、油断しすぎた。
伏見は、鳥羽街道のあおりをもろに受け、あっというまに戦地と化す。
大人たちが必死に戦っているなか、子どもらは怖いのを我慢し、会津藩の賄方らの手伝いをしている。
薩摩藩が陣取る御香宮神社から、容赦なく砲弾が飛んでくる。
そのたび、子どもらは上げそうになる悲鳴を必死で呑み込み、不器用な手つきでおむすびを握る。
副長には、奉行所が壊滅すること、潰走せざる状況になることを伝えた。
ゆえに、決断ははやい。
各地に散っている隊士や会津藩士たちに、召集をかける。
奉行所は、ボロボロである。
人間は、それ以上にボロボロフラフラの状態。
敵は、洋式の軍服。味方のおおくは、頭部に鉢金を巻き、体躯には防具を、手脚には手甲脚絆という格好。
会津藩士のなかには、時代祭りかコスプレかとみまがうような、鎧兜をガチに装着している者がすくなくない。
すでに、カッコで負けている。わかってはいるが、機能性、利便性において差がありすぎる。
いろんな形にビミョーな色具合、さらにはきわどい味加減の、子どもらメイドのおむすびをほおばる。
相棒も、おむすびをぺろりとたいらげる。
「おいおい、おむすびには沢庵だろうが、ええ?」というような表情で、みてくる。
「そういや、砲撃がぴたりと止まったな」
永倉の言葉に、全員が御香宮神社の方角へと視線をはしらせる。
「ああ、双子かもな」
副長は、指先についた米粒をぺろりとなめながら応じる。
「あっ副長、ほっぺに・・・」
副長の右頬に、米粒がへばりついている。
それに気が付き、掌を伸ばしかける。
「土方さん、餓鬼みたいだな」
秒の差で、原田が自分の舌で、舌で、舌で、ぺろりとなめとってしまう。
なにゆえだ、原田?おれがさきに気が付いたのに・・・。
腰を蹴ってやろうか、と悪魔チックなことを考えてしまう。
「どんどん腐隊士化しているではないか、と申しておる」
「What the hell!」
背後から囁かれ、スラングを叫んでしまう。
その場にいる全員が、白い瞳でみている。
「いや、すみません」
無駄に咳払いしつつ、謝罪する。
「首尾は?」
おれを睨みつけてから、あらわれた双子に尋ねる副長。
双子は、軍服姿である。
その軍服が、町でよくみかけた薩摩藩のそれだと、すぐに思いいたる。
いや、町でみかけたのよりずいぶん立派である。
「しばらくは、大砲もしずかになりましょう」
俊冬は、四本しか指のない掌を御香宮神社のほうへと向ける。
「いってぇ、なにをやってきた?」
「指揮官は、吉井殿です。陣にまいりますと、おあつらえむきに軍服があゆんでおります。しばし借りることにし、真正面から堂々と、吉井殿に会ってまいりました」
俊冬がにやりと笑うと、その隣で俊春もにやりと笑う。
「軍服ってあるくの?」
「異国の服ってあるくんだ」
おむすびを配りおえた子どもらは、俊冬の言葉を真に受け、驚いている。
あるく軍服・・・。
ホラーじゃあるまいし。
先日の、「ホーンテッド・ハウス」での怖がらせハラスメント、すなわちコワハラを思いだしてしまう。
あゆんでいる軍服のなかみがどうなったのか、であろう?
それは兎も角、俊冬のいう吉井友実は、有名どころのおおい薩摩藩にあって、知る人ぞ知る「義の人」である。
西郷や大久保と仲がよく、藩主のおぼえもめでたい。遠島状態の西郷を、迎えにいったりもしている。
たしか、「近江屋」で襲われた坂本の護衛も、やったはずである。
明治期、大久保側についたかれだが、西郷への思いは一途で、その遺児を明治天皇に拝謁させる為に尽力したり、上野の西郷隆盛像の発起人になったりしている。
かれがいなければ、上野の待ち合わせスポットの一つがなかったかもしれない。
「旧交をあたためた後、「しばし、大砲の発射を控えていただきたい」、とお願いいたしました。ただ、それだけです」
深夜、ステレオの音量を下げてもらうよう、隣人に遠まわしに注意した的に告げる俊冬。
しーんと静まり返る。
同時に、副長の眉間に皺が寄る。
「殺ったのか?その吉井って指揮官」
永倉が尋ねる。
なにゆえか、小声で。
「殺るのは、いつでもどこでも簡単にできます。が、殺ってしまえば、生き返らせることはできませぬ。吉井殿は、西郷、大久保両名の知己。人徳者でもございます。殺れば、われわれはこれより退くに退けなくなりましょう。なにより、上様の本意ではありませぬ。そして、副長の本意でも・・・」
俊冬の低く凄みのある声。破壊力抜群である。
「副長、いまのうちに撤退するご決断を」
俊冬がやわらかい笑みでもって、逡巡する副長の背をおす。
なにも情報がなく、渦中のただなかにあるのに、なにゆえ、これだけ状況を把握できるのであろう。
冷静に俯瞰できるのであろう・・・。
そのとき、一団があらわれた。
慌ただしく、こちらへ向かってくる。
戸板に、負傷者をのせている。
その運んでいる戸板の数が、すくなくない。
「林権助殿負傷っ、林又一郎殿戦死っ」
先頭を駆ける会津武士が、大声で叫ぶ。
ききたくもない叫びである。
いい訳はしたくない。
結局、林親子を助けることができなかった。