肥後の人斬り
その男のこともしっている。
web上で、何枚かの写真もみている。
そのときの第一印象は、線の細い華奢なタイプだな、ということである。
よくこれでまぁとも思ったが、剣に体格はさほど重要ではない。まっ、リーチはあるにこしたことはないが、その分、すばやく動けば充分カバーできる。
そしてやはり、実際にみたときも、さほどその印象はかわりはなかった。
しいていうなら、その独特の気が、尋常でなかったということか・・・。
その男もまた、狂気をうちに宿している。
この時代にいる男たちのおおくは、大なり小なりなにか信じているものがある。
その為には命を厭わず、賭け、最終的には成すこともあれば、不運にも散ってゆくこともある。
刀や槍、あるいは拳銃でもって死闘を繰りひろげることじたいが、現代の常識からかけはなれている。
武士であろうと町人であろうと農民であろうと、だれであっても一日一日を大切にし、その生を満喫している。
それは、人生の99%を現代で生きてきたおれの、この時代への正直な感想である。
おれも含め、現代人はなにもない。
熱い心、というものがない。
もちろん、おおくの者が、経営者になりたい医者になりたい、となにか目標をもっている。
あるいは、なにかを開発したり創ったりするであろう。
職人になったり、プロスポーツ選手を目指したり、歌手や漫画家や小説家になる為に、コツコツ努力したりもする。
漠然と、投資で、あるいは宝くじで、一攫千金を狙ったり、とさまざまな思いをもっているかもしれない。
親の跡を継ぐこともあれば、妻や子と、あるいは夫と、マイホームを購入してローンを払いながらでも、静かに平穏に笑ったり怒ったりしながら、平々凡々と生きられればいい、という考えもあるであろう。
夢、というものである。
現代人は、夢に向かって努力する。
だが、この時代に夢などない。リアルな現実だけである。
ゆえに、自分の思いは、即、実現するかしない、に繋がってゆく。
時代が時代なのだから、このおおきな違いは仕方のないことなのであろう。
兎に角、現代とこの時代とでは、生命の輝き方がまったく異なる。
そんななかにあって、この時代にも他人とは違う者たちが、たしかにいる。
それは、血に飢え、肉塊を貪りたがる連中である。
狂信的ともいえるそういう類の連中に、大望や信じるものなどなにもない。
いや、自身の腕と不滅は信じて疑ってはいないかもしれないが、兎に角、連中のやりたいことはたった一つ。
殺すこと、である。できるだけ無残に、相手を斬り刻めればいい・・・。
それだけをやりたくて、生きている。
厄介この上ない連中。
現代でもときおりでてくる、連続殺人鬼。
その代表格が、その男である。
河上彦斎。
いわずとしれた、「幕末四大人斬り」の一人。
ちなみに、「幕末四大人斬り」のメンバーは、まずは代表格ともいえる「人斬り半次郎」こと中村半次郎。
残る二人は、薩摩の田中新兵衛、土佐の岡田以蔵をさす。
おれがここにきたときには、すでにその二人はいない。
それぞれ捕まり、田中は取調べ中に自刃し、岡田は土佐で斬首された。
そして、おれは、またしても有名な人斬りと相対することとなる。