主計 羊羹に踊らされる
俊春の膝のまえに置いたとき、かれが鼻をひくつかせたような気がする。
刹那、眉をわずかにひそめる。
犬並みどころか、犬以上に鼻の利くかれである。
バレたのか?
ミクロ以下に残留している黴の臭気を、キャッチしたと?
視線があう。
キリリと結ぶ口許が、わずかに緩む。
「なんだ?おめぇの分までもってきてるたぁ」
副長にいわれ、はっとする。
たしかに、茶も茶菓子も一つあまっている。
俊冬が、用意してくれたのか。
「ふふふっ、主計は、どうやら伊庭君のことが・・・」
「・・・」
「ちょっ、なにいってんですか、俊冬殿。副長、誤解です。伊庭先生も、誤解ですからっ」
「・・・。そうか・・・」
「いえ、副長っ!ですから、誤解ですって。なんなんですか、いまの間は?」
伊庭は苦笑しているし、双子はにやにや笑っている。
副長が、ついに大笑いする。
「わかってる。剣術馬鹿の、おめぇのこった。八郎のことだって、ちゃんとしってるだろう?憧れんの当然だ」
あぁやはり、いじられキャラ化してしまっている・・・。
「今朝、大坂からとんぼ返りしました。それで、近藤さんのことをきき、飛んできたわけです」
「あぁ案じさせてすまなかったな、八郎。近藤さんは、大坂へ送った。向こうなら、静養しながら治療を受けられるだろう?京においときゃ、無理しちまうのがわかってる」
「ええ、そうでしょうね。それにしても、二条城での近藤さんの啖呵もですが、そのあとのあなたの脅し。噂になってますよ、土方さん。まったく、ちっともかわってませんね」
伊庭は、快活に笑う。
局長が道場主をつとめる試衛館と、伊庭の「練武館」とは、伊庭の父親秀業の代から仲がいいのである。
「ああ?かわるもんか。それに、やつらのほうがさきにしかけてきやがったんだ。おお、八郎、喰ってくれ」
イケメンがイケメンに、茶菓子をすすめる。
(まっ、まずい・・・)
「副長っ!」
「なんだ、いきなり?でけぇ声だすんじゃねぇよ、主計」
「いえ、すみません。あの、伊庭先生はスイーツ、いえ、甘いものはお好きなのでしょうか?お嫌いなら、べつのものを・・・」
こうなれば、喰うことを阻止するしかない。
双子をみる。
(ちっとも掌をつけてねー)
茶はすすっているのに・・・。
「どちらかといえば、煎餅のほうが・・・。ですが、京菓子は好きですよ。ああ、うまそうな栗羊羹・・・」
伊庭が、掌を伸ばそうと・・・。
「伊庭先生っ、大坂は?大坂の情勢は?」
「主計っ、いいかげんにしやがれっ!」
副長が、ついにきれる。
「副長、主計は伊庭君の・・・。ふふふっ」
俊冬がまた、意味深端折り的なことをいう。
伊庭は右に左に頸を傾げ、おれと視線があうと、にっこり微笑む。
「そうそう、近藤さんの様子もですが、沖田君のことも」
「総司は、一時戦線離脱し静養だ」
「それはよかった。かれとは、また一勝負したいですからね」
「それと・・・」
「なんだ、まだあんのか?」
「ええ、上様からの言伝が・・・」
伊庭のその一言で、双子がため息をつく。
「余の側で、忌憚なき意見を申してほしい。そして、万事うまくゆくよう、取り計らってほしい」
伊庭は、双子との間に流れる空気をよむまでに伝えきる。
副長と視線があう。
副長も、双子がこれほどのものとは思っていない。その証拠に、驚きを隠そうとしているのが感じられる。
「上様は、われらをずいぶんとかいかぶってらっしゃる・・・」
ややあって、俊冬は、頸を左右に振りながらいう。
「われらは、ただの犬。知恵も力も、人間におよぶべくもなし。なれば、勝先生を召されよ。勝先生ならば、身命を賭して善処されましょう」
「まったく・・・。頑固ですね、俊冬殿、俊春殿。まぁ、新撰組にいたいという気持ちはわかりますけど。わたしだって、すかした遊撃隊などより、新撰組のほうがずっといい。承知いたしました。上様には、しかとお伝えいたします。上様の機嫌が悪くなるでしょうね」
伊庭は、茶をいっきに呑みほし、軽やかに立ち上がる。
「なんだ、もういくのか?」
「ええ。今宵のうちに大坂へ戻り、いまの悪いしらせを伝え、またこちらに戻ってこなければなりません」
「おいおい、てぇへんだな。豚一ってのも、ずいぶんと執念深くってわがままじゃねぇか」
副長も立ち上がる。
『豚一』というのは、徳川慶喜のニックネームである。
豚肉、しかも、薩摩産の豚肉が大好物で、それでついたニックネームらしい。
(よっしゃー、セーフ)
心のなかで、ガッツポーズをする。
「だったら八郎、羊羹、もってけ。全員の分・・・」
(副長ーっ、当店は、食品衛生上おもちかえりは厳禁なんですよー)
心のなかで、中指を立てそうになる。
「お気持ちだけいただいておきますよ、土方さん。また、つぎの機会に。みなさん、お邪魔しました。兼定、またな」
伊庭は、相棒にも掌を振り、去ってゆく。
マジで、ナイスガイ!
居酒屋とかカラオケとか、かれとだったらいってもいいとさえ思う。
「ユOバ」とか、「ディOニー」とかでも・・・。
絶叫系のアトラクションで、「キャーキャー」いうのも、愉しそうかも。
「主計っ、おまえ、このまえの夜、よくもおれをみ捨てていきやがったな」
伊庭とのひとときを夢想しつつ、いわくつきの羊羹を運んでいると、自称「新撰組の人斬り」こと大石と、その他大勢が廊下を通せんぼしてくる。
「おっ羊羹か?うまそうだな」
めざとくみつけたようである。
どんどんと廊下を踏み鳴らしながらちかづいてき、おれの掌から盆を取り上げる。
「今日のところは、これで許しておいてやるよ」
不良高校生のカツアゲみたいなことを、いい年齢ぶっこいた大人がする。
「晩飯まで、これで我慢するか」
廊下を去ってゆく大石と、その他大勢。
「それはだめです。それを喰ったら、腹を壊します」
その背に、大声で叫ぶ。
心のなかで・・・。
ちゃんと忠告はした。
心のなかで・・・。
これで、罪悪感にみまわれることはない。