心肺蘇生術
あらためたかぎり、斬られた形跡はない。
「島田先生っ」
「いい合いの後、座をたち背を向けた途端、大場が斬りかかってきた。局長が斬られ、井上が大場に飛びかかろうとした拍子に、大場の得物の柄頭が井上の胸にあたった」
島田が説明してくれる。
心臓震盪・・・。
脳震盪の心臓版である。
たしか、大阪のどこかの市のホームページで、それについての事例案件をみた覚えがある。
野球の試合中に、打球が胸にあたり、選手が倒れてしまった。たまたま救命救急士が観戦していて、球場にあるAEDで蘇生を試みた、という事例報告である。
打球があたって起こりえる事例として、警鐘を投げかけている。
「あたってすぐに倒れましたか?倒れて、どのくらいです?」
「否。しばらくは立っていたはず。ついさきほどであろう。局長に気をとられていたので、気がつかなんだ」
間に合うかもしれない。
脳に酸素が送られない時間が長くなるほど、まずい。
くそっ!
心肺蘇生術は得意でない。っていうか、そうしょっちゅうやってたわけじゃない。ってか、正直、数回しか経験がない。
だが、そんなこといってられない。
ときの勝負。
心肺蘇生術を試みなければ。
新が場所を譲ってくれた。
両膝を畳の上につけ、両掌を伸ばそうとすると、それよりさきに、両掌が井上の着物をはだけた。
俊冬である。
指が五本あるほうの掌が、井上の胸骨をたどっている。
「ときがないのであろう?急げ。遅れれば、助かっても体躯のどこかに不具合がでるやもしれぬ。案ずるな。局長は、弟が手当てをしている。われらは・・・」
こちらをみることなく、呟いてくる。
「わかっていますよ。どうせ、蘭方医もやっていたんでしょう?」
「それだけではない。漢方医もやっておった」
「はいはい・・・」
いつものおちゃらけ。
緊張がとれたような気がする。
胸の真ん中に両掌を組んで置く。5センチは沈むくらい強く、1分間に100回から120回くらいのテンポで30回。気道を確保し、そのあと人工呼吸をおこなう。
AEDがあれば・・・。
ないものねだりだ。それに、AEDの設置はそう昔のことではない。それまでずっと、この方法で蘇生法をおこなっていた。
かならずや助ける。
元御陵衛士たちの襲撃を免れ、助かったのだ。
こんなことで、死なせてたまるものか。
セットを繰り返す。額から汗がしたたり落ちてゆく。
3セット繰り返したところで、俊冬がかわってくれた。
さすがだ。完璧に真似てくれる。
3セット目でまた交代。
焦燥が手元を狂わせないよう、注意を払う。
あきらめてたまるか・・・。
そのとき、井上の口がちいさくひらき、コホッと咳のような息を漏らしたような気がした。
「戻った。戻ったぞ、主計」
呆然としているおれにかわり、俊冬が井上に呼びかけ、チェックをしてくれている。
そのタイミングで、部屋の入り口が騒がしくなり、久吉に伴われ、坊主頭の医師らしき男が飛び込んできた。
安堵というか疲れというか、めまいがし、尻餅ついてしまう。
そのままひっくり返りたい衝動に駆られ、あがらうことができない。
背が、なにかにぶつかる。
「よくやった、主計」
うしろから、永倉の声がきこえてくる。
「おまえと双子、よくやってくれたよ」
局長は?局長は、大丈夫なんですか?
そう尋ねたつもりだが、落ちてしまった。
「だれか助けるたんびに、いちいち気を失いやがって」
副長?副長の声が、どこか遠くで響いたような気が・・・。