ツラミ・・・
「誠に狼のようだ。独逸の犬とか?」
永井が顔をあげ、きいてきた。
ドイツとはいわず、ジャーマンというところが流石である。
「ジャーマン・シェパード・ドッグ。正式な犬種名です」
「ほう、おぬし、異国の言の葉ができるのか?」
ちゃんとした発音で告げると、永井は意外そうな表情になる。
「はぁ・・・。港町で雇われていたことがありまして・・・」
グラバーのときとはちがい、永井にいい加減なごまかしは通用せぬであろう。
ゆえに、ほぼ理解不能ちかくまで端折る。
「主計、危急なのではないのか?兼定が苛苛しておる。それに、「宗匠」も、これだけ駆けさせておいて、呑気に雑談か?と怒っておる」
相棒の代弁者、俊春の指摘である。
「えっ?馬の気持ちまでわかるんですか?」
思わずきいてしまう。
「無論。屯所にいる鼠や鼬の気持ちもわかるぞ」
「ええっ、屯所に鼠や鼬がいるんですか?それって、頭の黒いって意味じゃなく、リアル、もとい、本物のってことですよね?ってか、こんなことをいってる場合ではないんです」
このままだと、どつぼにはまる。
「「宗匠」、ごめん。いまからちゃんと本題に入るから。相棒、苛苛させてサーセンッ。マジ、ツラミだ」
まずは、馬と犬に謝罪する。
めっちゃ、視線が痛い。
「マジであほやな」
「ああ、もういいです。相棒の気持ちを、伝えていただかなくとも」
「否、いまのはわたしの気持ちだ」
めっちゃマジな表情の、俊春。
くそっ、一本とられた。
さすがは、柳生新陰流皆伝。
いや、この際、それは関係ないか・・・。
「局長は、いずこに?」
強引に本題に戻す。
「近藤なら、喧嘩をしておる」
立ち上がりつつ、とんでもないことをさらっという永井。
「ええっ?喧嘩ってどういう・・・」
そこで、はたと思いだす。
慶喜は、下坂する際に二条城の守護を、生家の水戸藩に命じる。
が、新撰組も守護をおおせつかる。
老中からの命である、ということになっている。
水戸藩は、ほかのおおくの藩と同様新撰組をよく思っていない。
「似非武士」の集団、とくらいにしか。
どちらも主張する。
二条城の守護を任された、と。
たしか、その仲裁に入るのが、この永井であったはず。
「まったく、指揮系統が無茶苦茶じゃ。近藤はいい男だが、融通がきかぬ」
永井は、独り言のように呟く。
「大坂まで参り、指示をあおいで参るしかなさそうじゃな」
思わず、「その必要はありませんよ」、といいそうになってしまう。
このあと、すぐに起こる局長襲撃事件により、局長は重傷を負い、そのまま沖田とともに大坂に送られることになるのだから。
そして、開戦・・・。
二条城守護を巡る揉め事など、ささいなことにすぎぬほど、大事件が目白おしである。
「俊冬、やはり、気はかわらぬか?」
「われらは、新撰組の隊士にて・・・。永井様、此度の件は、心より礼を申し上げます」
俊冬が頭を下げると、俊春もそれにならう。
隊名のことにちがいない。
そして、またしても双子をヘッドハンティングしようと・・・。
「それをつかわずすむよう、祈るばかりだな。そのために、豚一様は大坂へ下坂されたのだ」
永井の指先は、細長い木箱へと向けられる。
「兼定、また会おう。相馬、おぬしとは気があいそうだ」
永井が掌を差しだす。
握手をかわすと、永井は慌ただしく二の丸御殿内へと消えた。