表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

336/1255

馬と永井尚志

 二頭いるうちの一頭は局長が乗っていっているが、もう一頭はちょうど伏見奉行所にゆくのに鞍を置いているところである。


 グッドタイミング。


安富やすとみ先生っ」

 大声で呼ぶと、小柄な隊士が馬のかげからあらわれた。


 掌に、飼い葉桶をもっている。


 安富才助やすとみさいすけ、勘定方に所属している。大坪おおつぼ流馬術の遣い手で、馬術師範を兼任している。


 小柄ですらっとしているイケメンである。


 まるで、競馬の騎手のようだ。実際、騎馬に負担をかけぬよう、食事制限をすることがあるというから驚きだ。


 まさしく、騎手の元祖。かれの乗馬スタイルは、未来のそれをも思わせる。


 そして、かれは乗るだけではない。久吉とともに世話もしているのである。


「主計っ、なにごとだ?まさか、給金をまえがり、などと・・・」

「先生、そんなわけはありませんよ。もう子どもらにおごらなくていいですから。まえがりは、ってそんなことより、すぐに二条城に向かわねばならないのです。ってか、きいてくれてますか、先生?」


 マシンガントークをよそに、安富は相棒のまえで両膝を折り、相棒とみつめあっている。


「さわっていいか?」

 暢気にきいてくる。

「ええ。って、先生、いそいでいるのです。あー、」

 

 馬の名が、どっちがどっちだったか・・・。


 両方とも黒鹿毛で、「豊玉」と「宗匠」と名づけられている。


 名づけたのは沖田。

 副長をからかってのことであることはいうまでもない。


「「宗匠」は、すぐにでも駆けることができる」


 安富は、馬体をさわるように相棒の胴を撫でている。


「では、お借りします。いそぎますので。相棒、ついてこい」

「「宗匠」は、たたかれるのが好きではない。気をつけてくれ」

「承知」


 拍車をかけると、「宗匠」はゲートが開いたサラブレッドのように猛ダッシュする。


 一応、サラブレッドに乗れる。もちろん、競馬の騎手のようなスタイルではないが、疾駆させることはできる。


 すらりとした馬の背は、とても高く感じられる。それを駆けさせると、おおげさではなく、風が心地よく、かっこいいと自画自讃してしまう。


 まぁ駆けているのは馬で、おれはただのっかっているだけだが。


 それだけでなく、馬の駆ける姿を眺めるのも好きだ。あれほど美しいものは、そうそうない。


 したがって、一年に一度あるかないかではあるが、京都競馬場にみにいった。

 せっかくだから、メインレースに千円だけ賭け、朝から晩まで眺めたものだ。


 サラブレッドは、競争用に改良された馬である。

 服部あたりなら、「人間ひとがつくる?馬競べをさせるために?」とでもいいそうだが。


 18世紀初頭に、イギリスで改良されたのだったと思う。


 わが国にも、在来馬というものがいる。


 戦国時代、武田の騎馬隊が勇を馳せた。


 戦場を縦横無尽に駆けまわり、なんてカッコいいイメージがある。大河ドラマや映画などでも、じつにカッコいい。


 が、実際はちっちゃい。現代でいうところのポニーくらいのおおきさである。


 木曽馬や道産子が有名だ。ずんぐりむっくりしたかわいらしい馬である。


 人間ひともちっちゃいが、馬もちっちゃいというわけだ。


 鎧兜をつけ、ポニーみたいな騎馬にまたがる。くそ重たいものをのせ、ちっちゃい騎馬がいったいどれだけ駆けることができるか・・・。


 武田の騎馬隊の馬たちも、のろのろよろよろ駆け、10分ほどでへばったかも、である。


「宗匠」は、それよりかはじゃっかんおおきく、おれも身軽である。


 颯爽とまではゆかずとも、そこそこ駆けてくれる。その左うしろには、相棒が駆けている。


 相棒も、「宗匠」にあわせてくれてるようだ。


「宗匠」の乗り心地がいいことに気がついた。

 体高が低く、安定しているからであろう。これだけ駆けているのに、ほとんど揺れがない。

 これがサラブレッドだとそうはいかない。


 人間ひとを跳ね飛ばす、もとい踏みつけてしまうようなことになるのでは、といらぬ心配をしてしまう。


 時代劇であるような、疾走する馬のまえに子どもとか女性が飛びだし、馬が棹立ちになるやつ。「無礼者っ、手討ちにしてくれる」と供の者が刀を抜いたところで、真打登場ってパターン。


 杞憂にすぎない。通行人はちらほらいるが、脇道や路地からねずみ一匹飛びだしてこない。


 渋滞もなければ、あおってくる騎手もいない。


 じつに快適。

 

 難をいえば、風が冷たくて鼻水が垂れて凍ってしまうということか。


 メットがあれば・・・。


 ふと、ホットコーヒーが呑みたくなってしまう。


 ドライブスルーでもあれば・・・。


 学生時代に海外放浪した際、「マOド」、いや、「マOク」か、兎に角、そこのドライブスルーで車と車にはさまれ、カーボーイが順番まちをしていたのをみた。もちろん、馬にのって、だ。


 などと考えている間に、二条城に到着する。


 現存する二条城は、徳川家康がつくった。

 宿がわりのようなものである。皇族もつかわれたらしい。


 二条城は、「鴬張りの廊下」で有名である。

 あるくと「きゅっきゅっ」と音がなる廊下のことである。


 これは、廊下の老朽化によるものではない。


 元来、「鴬張りの廊下」は、その音で侵入者をしらせる役割を果たす。ゆえに、その廊下のさきには、重要なものがあったり、場所があったりする。

 つまり、セキュリティーというわけだ。


 知恩院や大覚寺などにもある。


「鴬張りの廊下」だけでなく、庭に白砂を敷き詰めたり、天井が紙でできていたり、欄干が武器がわりになったりと、セキュリティー体制は江戸時代でも工夫がされている。


 薀蓄は兎も角、門で門番にとりつぎを頼もうとしたが、門番がいない。


 いくら将軍が大坂へ移ったからといって、二条城の門番までリストラされてしまうなんて、通常ありえない。


「主計っ」


「宗匠」の手綱をひき、二の丸御殿のあたりをウロウロしていると、呼び止められた。


 双子である。


 初老の武士が一緒である。

 間に細長い木箱をはさみ、話をしていたようである。


 ちかづきながら、初老の武士をガン見する。


 みたことのある顔だ。もちろん、幕末ここでははじめてである。ウイキペディアで、という意味である。


 昨夜、新撰組の処置について、幕臣にかけあってみるというようなことを俊冬がいっていたことを思いだす。


 永井尚志ながいなおゆきだったのか・・・。

 

 永井は、若年寄である。


 彼は、新撰組に理解のある数すくない幕臣の一人である。

 そして、蝦夷までゆき、そこで降伏する。


 ちかづくまでに、俊冬がおれと相棒のことを告げたらしい。


 満面笑顔で迎えてくれた。


「相馬主計と申します」


「宗匠」の手綱は、俊春が引き継いでくれる。


 自己紹介とともに一礼すると、永井も一礼を返してくれる。


「永井尚志と申す。おお、これが噂の異国の犬か。さわってもよいかな?」

「無論でございます」


 永井もまた、犬好きのようである。膝を折ると、いつもの定位置でお座りしている相棒の頭やら顎の下やらを撫でたりかいたりする。


「長崎で異国の犬をみたが、どれもふさふさの毛玉のような犬ばかりであった。うむ、じつに精悍な面構えだ」

 感心しきりのようである。


 永井は、長崎に赴任していたことがある。英語もできる。軍艦奉行なるものもやっていた。


 たしか永井も勝同様、海軍にかかわる役職にありながら、泳ぎが苦手だったはずである。


 それ以外にも、かれにはエピソードがおおくある。


 ああ、彼は文豪にして壮絶なる自害を遂げた三島由紀夫みしまゆきおの、高祖父でもある。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ