京の心霊スポット
「なにをやっておるか、はやく参れ」
このタイミングで逃げだそうと思ったのは、おれだけではなかったはず。
が、新撰組局長の容赦ない命が飛んできた。
いやにものしずかな副長、死者のごとくしずかな原田、そしておれは、ゆっくりと歩をすすめる。
ぎしっぎしっと廊下に奇妙な音を響かせながら・・・。
いったい、この屋敷はどんだけひろいんだ?しかも真っ暗だ。雨戸をしめきっているせいだろう。
すぐまえをゆく副長と原田のシルエットがかろうじてわかる程度。さらにまえをゆく局長や子どもらにいたっては、シルエットどころか気配すら感じられない。
このまえの、副長とおねぇに会うための廊下もたいがい緊張したが、これはまた違う意味で緊張する。
そのとき、前方からおおきな悲鳴がきこえてきた。子どものものにまじって、局長の悲鳴まで・・・。
副長と原田の体がびくんとしたのがわかった。立ち止ったのも。
「あの、副長、以前、おれは背を向け逃げても「局中法度」にはとわねぇ、っておっしゃったこと、おぼえてらっしゃいますよね?」
おれは、二つのシルエットに問いかける。
その声が震えているのが情けない、と思いつつ。
「いってねぇ」
ソッコーかえってきた。
「はあ?たしかにおっしゃいましたよ」
「いってねぇつってんだろうが。主計、まさかこっから逃げだす算段してんじゃねぇだろうな?」
台詞を棒よみしているような声。
「まさか・・・。手伝いを、厨にゆかねば・・・。そうだ、副長、子どもたちは局長が引率されています。ここは局長にお任せし、おれたちは準備を手伝いましょう。ねぇ、原田先生?」
都合のいい大義名分を、ふりかざす。
「原田先生?きこえてますか?」
呼びかけても返事のない原田。
恐怖のあまり、かたまってしまっているのか・・・?
暗すぎてよくわからない。
そのとき、また悲鳴が。
「局長、局長、大丈夫ですか?」
子どもらが、局長を案じるような声も・・・。
「もしかして、心筋梗塞か脳卒中でも?」
なにゆえか、現代人におこりえそうなことを想像してしまう。
「いいからゆくぞっ!くそったれめ」
副長は、なににたいしてか毒づいた後、またあるきだす。
マジで卒中とかだったら、一刻をあらそう。
「ほら、原田先生」
反応なしの原田の背を押し、副長にしたがう。
心霊スポットなるものは、全国どこにでも存在する。
この京、いや、京都は全国でもトップクラスの心霊スポットだ。
それはそうかもしれない。ずっと昔から、ここでは戦やクーデターなどがおおいのだから。
ここ二、三年をみただけでも、どれだけおおくの血が流れているか・・・。
有名なのは、清滝トンネルや花山トンネル、天ケ瀬ダムといったところから、深泥池、清水寺、貴船神社とさまざまにある。もちろん、いま、思いだしたこれら以外にも存在する。
だが、たいていは夏、だ。夏にヒヤッとするからこういう話は価値がある。
いまは冬。これ以上ヒヤヒヤ感は必要ないのではないか?
ここもまた、その一つにあげたいくらいだ。
それこそ、Twitterで呟きたいし、インスタにあげてもいい。
自撮りしたら、ざんばら髪、血まみれの武士がうしろに写ってるなんてこと、あるあるだ。
原田の背をぐいぐい押しながら、おれはそんなことを考えてしまう。
んっ?んんっ?
原田がなにかにつっかえた。押せども押せども、まえにすすまない。
「副長?どうされました?」
原田の脇からまえをみると、立ち止まっている副長のシルエットが浮かび上がっている。
「廊下が、濡れてやがる」
ぶつぶつと、つぶやきが。
シルエットは、片脚をあげ、濡れているかを確認している。それから、しゃがむ。
「ぬるぬるしてやがる・・・。血、か?」
指先で、廊下を拭うシルエット。
そういえば、すぐ横の部屋だろうか。そこから、「ぴちゃっ、ぴちゃっ」と滴がはねるような、落ちているような、そんな音が聞こえてくる。
副長がつぶやきがおわったタイミングで、その部屋の障子がすーっと音もなくひらいた。
「ぎやあああああああっ!」
刹那、副長が、「鬼の副長」が、おれの鼓膜を木端微塵に破く勢いで叫び声をあげた。
おれもつられて、あくまでもつられて「ひええええっ」とかぎりなくちいさく、ささやかに叫んでしまう。
あっと思う間もなく、副長は駆けだした。
廊下を、這う這うの体で駆けてゆくシルエットが。
さすがはバラガキだ。逃げ脚は抜群に速い。
「ちょっ、ちょっ、ふ、ふくちょうー」
置いてかれてなるものか。転びまろびつ脚を動かす。
ようやく、廊下のつきあたりっぽい黒いかげのようなものがみえた。
副長のシルエットは、直角を描いてなにかしらの部屋へときえてしまう。