沖田総司の一番弟子
「兄上のお蔭で、存分に愉しませていただきました。息子らもきっと、剣術を愉しんでくれるでしょう」
俊春はいったん間合いをあけ、俊冬に告げる。
にやりと笑う俊冬。
二人の得物の柄頭が、やけに内へと傾けられている。
ほぼ、丹田のまえである。
お美津さんが、教えてくれる。
柄頭を前半に置き、その位置から鞘をうしろに引きながら同時に抜く。
右掌一本で抜かれた太刀は、速さだけでなく相手を両断するだけの鋭さと破壊力をもつ。
それが、新陰流の抜刀術の極意らしい。
動体視力云々のレベルじゃない。感じるしかない。
二人が同時に抜き放ったのか。
ついに、その動きがとまった。
ともに、相手の眉間を襲ったようだ。
だが、俊冬の剣先は俊春の左の人差し指と中指の間にはさまり、うけとめられている。
そして、俊春の剣先は、俊冬の眉間にぴたりと静止している。
紙一重以下の間をあけて・・・。
しんとしずまりかえった道場。
精神があらわれる一場面・・・。
双子は互いに身をひき、残心してから納刀する。
「中将、もうひと勝負、お許しくだされ。沖田殿の内弟子が、剣を披露いたします」
そう申しでたのは、俊冬である。
「総司、借りるぞ」
まるで申し合わせたかのように、斎藤が動く。
沖田の左膝によりそっている「大和守安定」をつかみ、松吉を立たせながらそれを握らせる。それから、道場の中央へとおしだした。
なるほど・・・。
そうか、サプライズをもくろんでいたんだ。
松吉の秘密の特訓を、双子が気づかぬはずはない。
しらぬふり、をしていたのであろう。
びっくりした顔の松吉。
それでも、おずおずとあるいてゆく。
「松吉、父上にみせてやれ。最高の師の教えを」
俊冬は、ちかづいてきた松吉にそういいながら膝立ちになった。
「大和守安定」の鞘をとり、松吉がそれを抜くのに介添えしてやる。
沖田の佩刀が、「菊一文字」であることは有名だ。「菊一文字」イコール沖田、というイメージが強い。
有名な歴史小説家も、ずばりこの業物をタイトルにして沖田の話を書いている。
だが、「菊一文字」はそうそう入手できるものではない。
おれも半信半疑だった。
が、実際、所持しているのは「大和守安定」だった。
「加州清光」も有名だが、そちらは「池田屋」事件の際にぼろぼろになり、修復不可能と診断されたらしい。
「池田屋」事件の死闘は、それほどまでに壮絶きわまりなかったのである。
「ほう・・・」
局長が唸った。
正直、驚いた。
幼く、まだ数日しか習っていない松吉の正眼の構えは、じつに堂にいっている。
沖田だけでなく、斎藤と藤堂も教えたものだから、理心流独特の癖のある構えではなく、きれいな構えである。
「へー、筋がいいじゃないか」
「それはそうですよ、左之さん。師がいいですからね」
原田の呟きに、沖田がいう。
沖田は、うれしそうである。
「ああ、ありゃきっと、そこそこ遣えるようになるだろうよ。まっ、おれにはかなわんだろうがな」
ドヤ顔の副長のその呟きは、スルーされる。
「振ってみよ、松吉」
俊春が松吉にちかづきつついうと、松吉は「はいっ」と元気よく返事し、掌にある得物を振り上げた。
ゆっくりであぶなっかしいが、それでも松吉はまっすぐきれいにふりかぶった。それから、そのまま振り下ろす。
松吉にとって、重すぎ長すぎる真剣。
ふつうなら、振るというよりかは振られてしまう。重力に負け、上半身がまえのめりになってしまう。 剣先も、ふらふらしてしまう。
これは、初心者には「あるある」である。
だが、松吉は姿勢を正したまま、剣先もまっすぐ、遠くへ飛ばすように軌道を描いている。
いや、マジで才能ありすぎだろ?
「ふふっ、あれは新八さんですよ」
沖田である。
ええっ?
あとでしったことだが、松吉の秘密の特訓のことをきいた永倉。それならおれも、と永倉自身がまだ剣術をはじめた時分に実践していたノウハウを、伝授したらしい。
しかも、松吉の練習の時間にあわせ、局長のお宅をこっそり訪れて・・・。
松吉は、幕末だけでなく後世にまでその名を語り継がれることになる「近藤四天王」から、教えを乞うたわけだ。
なんてこった、うらやましいじゃないか・・・。
だが、さすがに絞るのはまだむずかしいようだ。
それはそうだ。振ることよりむしろ、絞るほうがむずかしいのだから。
俊春は、松吉のふる「大和守安定」が床にたたきつけられることがわかっている。なので、すばやく膝行し、軌道上で右の掌を上げた。
人差し指と中指の間に、松吉渾身の一撃による剣がおさまる。
「見事。いい太刀筋だ。まっすぐで純粋で、一生懸命さがひしひしと感じられる。だが松吉、愉しさが感じられぬ。剣の道は厳しくながい。その道中には高い山があり、ときには深い谷がある。うまくできず、悔しく悲しくなることもある。かようなときでも、笑え。こえられぬ山などない。のぼれぬ谷などない。笑いながら、「できる」と申すのだ。かならずやできるであろう。これは、剣の道だけにあらず。人の道もおなじ」
俊春がちらりとこちらに視線を向けた。
そのさきにいるのは、沖田である。
指の間から、「大和守安定」が解放される。
「父上・・・」
松吉の双眸から、大粒の涙がこぼれ落ちてゆく。それらは、あっという間に道場の床をぬらす。
「なにも教えられず、伝えられぬ父を許せ。ともに剣を振れぬことも・・・」
俊春は、「大和守安定」の切っ先をはさんでいた指で、松吉の涙を拭ってやる。
俊冬が「大和守安定」を松吉のちいさな掌からとり、鞘に納めてやる。
「さぁっ感じよ!これが、剣の愉しみだ」
いきなり、俊冬が松吉を肩車した。
いつの間にかもってきた木刀を、そのちいさな掌へ渡す。
俊春がふたたび「兼定」を抜く。
正眼の構え。
おおきくふり、そのままふりおろす。
一足一刀より遠い位置に立っている松吉と俊冬の髪が、剣風で揺れる。
八双、脇構え、とつづく。
そのきれいな構え、そして素振り・・・。
ちかくで、だれかの嗚咽がきこえたような気がした。
おれ自身、涙を流していた。
こんなに無垢な素振りをみるのは、これが最初で最後なのかもしれない。
納刀し、神棚に、会津侯に、俊冬と松吉に、そして、おれたちに、しずかに頭を下げる俊春。
「さぁっみなっ、木刀をもて。そして、ともに愉しもうではないか」
俊冬が、松吉を肩車したまま呼びかける。
子どもらに、である。
子どもらはわっと叫ぶなり、木刀を置いてあるところまで駆けてゆき、握り取ると俊春にうちかかってゆく。
「面白い。わたしもやるぞ」
局長である。
立ち上がるなり、だれかがつかった木刀を掴み、子どもらに負けじと打ちかかりはじめる。
「よしっ、おれもゆくぞ」
「わたしも」
「わたしもだ」
永倉を筆頭に、駆けだす。
沖田も立ち上がりかけたところに、副長がさりげなくよりそう。
「総司、ゆくのなら、おれも付き合ってやる」
「いやだな、土方さん。もう汚い策はつかわないくださいよ」
「馬鹿いってんじゃねぇよ」
そして、ゆっくりではあるが、中央へ向かってゆく。
黒谷の剣士たちも、笑顔で参加している。
おれも、負けてはいられない。
「余も参る。俊春、よもや余を痛めつけるような真似はすまい、ええっ?」
なんと、会津侯までご出馬だ。
しかも、副長のパクリまでしてのけ、いや、模倣されて。
桑名侯や、会津の重臣たちまで。
おれたちは、体力の限界まで木刀を振りつづけた。
その後、ぜんざいをご馳走になった。ただ一人をのぞき、堪能した。
黒谷の賄方が用意してくれたものだ。
そのただ一人島田だけは、甘みがたりぬとぶつぶつ呟きつつ、八杯完食した。
いや、もっといけたのであろうけど、この人数、しかも食べ盛りも含めた男ばかり。
九杯目を所望したら、断られたようだ。
五十両は、新撰組にといただいた。