業物と弁慶の泣きどころ
「見事じゃ。沖田、ようやった。さすがは新撰組の一番組組長だけはある」
試合の終幕に、まだだれも反応できずにいるなか、会津候が膝を一つ打ち、床几から立ち上がると沖田と俊春にちかづいた。
俊春に態勢をなおしてもらったばかりの沖田の両肩を、会津候はみずからだいてその労をねぎらう。
俊春は、目隠しをはずし、床に片膝立て控える。
「いまの試合、余は生涯わすれぬ。なにごとにも、あきらめぬ姿勢が必要であること、余はそちから教えられた」
沖田は、相貌を伏せた。
なにもいえない、というのがほんとうのところだろう。
両肩が小刻みに震えている。
その肩も、まえはもっとがっしりしていたのかもしれない。
「「和泉守兼定」を」
会津候は、沖田を局長に託すと、近習に二振りの刀をもってこさせた。
なんの拵えもない、二振りの刀だ。
「和泉守が鍛えし刀である」
会津候は、それぞれの掌の「兼定」をかかげる。
「和泉守兼定」は、じつは明治二年から七年まで、越後で鍛刀されたものが一番有名だ。それまでは、「陸奥国会津住兼元」、「奥州会陽臣和泉守兼㝎」、「会津刀匠和泉守兼㝎」などいくつもの銘をつかっている。
いずれにしても、会津の名刀工と呼ばれる第十一代会津兼定の作品。
そして、土方歳三の所持刀として、いっきにブレイクした。
もっとも、それは後世での話だが。
ちなみに、おれの「之定」は、関兼定である。会津よりも古く、柴田勝家、明智光秀、黒田長政など、いわゆる戦国時代の武将たちが好んで所持した。
「俊冬、俊春、せっかくの機会である。この二振りを試してはくれぬか?」
審判をつとめた俊冬も、その場に片膝ついて控えていたが、その言葉に姿勢をひくくしたままにじりより、一振りをうけとった。
俊春は、もう一振りをうけとる。
「承知いたしました。微力ながら、試させていただきます」
俊冬が両掌でかかげもち、一礼とともに了承する。
双子は、鍛えられたばかりの「和泉守兼定」を帯び、向き合う。
「柳生新陰流」の対戦。
うれしいサプライズだ。
斎藤が松吉と竹吉に告げる。
「父上と伯父上を、瞳にしっかりとやきつけておくように」、と。
松吉たちは、明後日、丹波にたつ。そして、玉置と秦も。
「双子先生にかわり、松吉たちを護るのだ」
玉置には、昨夜、そう副長が命を下していた。
いま一人、秦というこの京出身の孤児の子もともに。
玉置も秦も、泣きながら置いてくれと頼んだらしい。だが、副長は文字通り心を鬼にし、命を撤回することはしなかった。
最終的には、局長からも説得してもらい、二人にうんといわせたそうだ。
「いつぶりだ?」
道場の中央で向かい合うと、俊冬が俊春に尋ねる。
「さて?ともに木刀をまじえたのは、まだ幼き時分でございます。さまざまな道場の練習を盗みみ、「北辰一刀流だっ」「神道無念流だっ」などと真似事をして以来のことでしょう」
応じた俊春の表情も声もかたい。
緊張しているのが、おれにも伝わってくる。
「おいおい、なにゆえかような表情をしておる?松吉や竹吉、それから新撰組の子どもたちに、剣術の愉しさをみせてやらねば。そうであろう?剣術というものがなんであるのか、それを感じてもらわねば。此度が最初で最後の機会。みなさまのお蔭で与えていただいたのだ。剣の道は、人間の精神を繋げるものなり・・・。われらが信じてきた道を、子どもたちに繋げるのだ」
兄の言葉に、弟ははっとした表情で松吉と竹吉をみる。
それは、「幕末四大人斬り」の中村と河上と遣り合ったとき、俊春が松吉に語った言葉だ。
「さてさて、わたしのまずさが露見するな」
俊冬は、そう呟くと弟の肩をぽんとたたく。
背を向け、一足一刀の間合いへと移動する。
またしても、道場内は静寂につつまれた。新撰組、柳生一家はもとより、会津候、桑名少将、両藩の重臣たち、そして黒谷の剣士たち、だれもが固唾を呑んでみ護っている。
だれかさんのときとは大違いだ。
まずは両者とも無掌で挑むのか、二人とも両腕をだらりとたらしたままだ。
そのままの状態でときがすぎてゆく。
いや、動けぬのだ。三竦みのごとく、動けないでいるに違いない。
「この寒き道場で、みなさまが凍えてらっしゃる。てっとりばやくすませようではないか、弟よ」
俊冬の挑発にのる俊春ではない。
そう思いきや、俊春がしかけた。
いったん遠間へとバック転で距離をおくと、そのままいっきに間を詰めた。
右脚が床を蹴ったと思うと、そのおなじ脚が俊冬の顔面を襲う。
だが、俊冬はよんでいる。左上腕部で頭部を護る。と思いきや、右の脚先が俊春の左脛を打とうとする。
俊春は、それをよけることなく左脛でうける。強烈な蹴りのはずだ。
机の脚やベッドや家具の角で向う脛をぶつけ、地獄の苦しみを味わう以上の衝撃のはずである。
だが、俊春は平然としたまま、左脚で二段蹴りを放った。
それを俊冬は右上腕部を曲げ、防ぐふりをしつつ、二段目の蹴りを、つまり、俊春の左脚先をつかんだ。
そのまま腰を落とし、俊春の右脚に払い蹴りをしかける。
蛇足だが、向う脛強打に負けぬ痛い「あるある」は、家具や机などに脚の小指をぶつけることだ。
おれのつれが、自宅の自分のベッドの脚に小指をぶつけて骨折した。
世にもおそろしい色に変色した脚の写真が、LINEで送られてきたことがある。
そこまでではないにしろ、おれも向う脛、それから脚の小指の強打は一度や二度ではない。
ああいうときは、だれにも文句をいえぬ。
苦痛にのたうちまわりながら、ただひたすら自分のどじっぷりをあざけり、試練を与えた神を恨むしかない。
誠にどうでもいい話、だ。