お孝 お勇母娘の波乱万丈人生
賑やかである。
沖田のもとに、松吉が稽古にきていた。それに付き添い、斎藤と藤堂もきている。
稽古はさきほどおわったらしく、井戸端で体を拭いている。
正直、驚いた。
沖田の様子がすっかりかわっていたからだ。いや、悪いほうにではない。いい意味で、である。
坂本のミッションのまえに会ったときより、顔色がよくなっているどころか肌に艶まである。
井戸端で、一緒に汗を拭っている。
「こんにちは!」
「饅頭屋」で購入した酒饅頭を顔のまえでかかげながら、裏木戸から入る。
「あっ、この匂いは「饅頭屋」の酒饅頭」
藤堂が叫んだ。
かれは、使った手拭いを干そうとしているところだ。
「はは、この竹の皮の「丸に饅」ですぐにわかりますよね?」
それがみえるよう、さらにかかげる。
竹の皮に、丸に饅の字が刻印されているのである。
「よかったなー、総司。おまえ、好きだったろう?主計さんにいっといたんだ」
「否、ちがうであろう。平助、おぬしが喰いたいから、総司をだしにしているだけではないか」
「なにいってるんだい、一。わたしより総司のほうがずっと好きなんだ。なぁ総司?」
斎藤は自分の手拭いを干してから、松吉のそれも干してやっている。
松吉も、ちょこちょこと動いては斎藤の手伝いをしている。
「ええ、ええ、そういうことにしておこう、平助。いらっしゃい、主計さん。ちょうど練習がおわったところです」
沖田は、笑いながらいう。
ささやかな冬の陽射しのなか、その笑みは眩しいくらいだ。
「こんにちは、主計さん、兼定」
新撰組のキッズたちと違い、松吉は礼儀正しくおとなしい。
おれと相棒のまえにくると、しっかりと一礼して挨拶してくれた。
武家の子息として、お美津さんがしっかりと教育しているからであろう。
「こんにちは、松吉。どうだい、練習はすすんでいるかい?」
「はい」
元気よく答えた松吉の笑顔もまた、きらきらしている。
「先生がよいからな。総司は、最高の先生だ」
うんうんと頷きながら補足する、斎藤の笑顔も眩しい。
「お孝さーん、主計さんがうまい酒饅頭をもってきてくれました」
藤堂が叫びながら屋敷へと入ってゆく。
二羽の雀が、梅の木からみおろしている。
つかの間の安寧・・・。
いついつまでもつづいてほしい。
おれの望みは、絶えることはない。
相棒を庭でまたせ、おれは井戸端でしっかりと掌を洗い、うがいをした。それから、屋敷にあがった。
お孝さんと局長の娘のお勇ちゃんを、のぞきにゆく。
誤解のないようにいっておくが、のぞくというのは犯罪的のぞきの意味ではない。文字通り、様子うかがいのことである。
小ぶりの布団に寝かされ、お勇ちゃんはすやすやと眠っている。
頭に毛がない。この時代は、これが当たり前なのだ。
まだ頸もすわらぬ赤子。
じつは、壮絶な人生を送ることになる。
それをいうなら、お孝さんもだが・・・。
新撰組、つまり、局長が江戸に戻ってしまうと、お孝さんはこの子を連れて姉の茶屋で世話になる。
姉の名は、深雪太夫。局長は、もともとお孝さんの姉を落籍せ、別宅をもった。その際、深雪太夫は、おなじ新地で太夫をしている妹を呼び寄せたのである。
局長は、ああみえて掌がはやい。ある意味、副長より女癖が悪いのである。
昔、トレンディだった愛憎劇、それを地でいった結末は、お孝さんの勝利におわる。
それを勝敗というには、下世話すぎるであろう。結局、深雪太夫は多額の慰謝料、もとい手切れ金をせしめ、茶屋の経営をはじめる。お孝さんは、その姉のところに転がりこむのである。
ときを経、茶屋の経営がうまくゆかなくなると、お孝さんは娘を姉にあずけ、なにゆえかシンガポールへと出稼ぎに・・・。
そこで、そこそこの資産家になったとか。
その間に、この娘は伯母と喧嘩し飛びだしてしまう。そして、これもまたなにゆえか馬関で芸妓となる。馬関とは、下関のことである。
父親と敵対関係にあった地・・・。
伊藤博文や井上馨といった、長州出身の政府官僚の贔屓を受けたらしい。
皮肉もいいところであろう。
その後、かのじょは朝鮮人貿易商と所帯をもったとかもたなかったとか・・・。
近藤勇の名を継ぐこの赤子は、波乱万丈の人生を送るのである。
すやすや眠る赤子の頬を、指で突っつく。ぷくぷくした感触だ。
ささやかな安寧を、ここでも堪能する。
さきほど、しっかりと掌を洗ってうがいをしたのは、この子や沖田の為であることはいうまでもない。
いま一度赤子の顔を瞳に焼きつけてから、部屋をでた。