さよならはキッスとともに・・・
俊春はなにもいわず、おねぇが身繕いするのをかいがいしく手伝う。
副長も、それを無言のままみつめている。
「すでにわたしの居場所はなくなっている、ということなのですね?身の置きどころ、というわけではなく、この世から・・・。わたしだけでなく、龍馬さんもね・・・。かれは要領がいいので、かならずややりすごし、消えうせるだろうと思っていました。なのに・・・。結果的に、わたしがかれを殺したことになるのですね。茨木君らとは違う意味で」
身繕いをおえ、おねぇは呟きながらその場でひとまわりした。
こういった所作も、まさしくリアルおねぇ。
ぶらぶらさせていないだけ、まだましか。
「なにゆえかしら?惚れる男はみな、掌の届かないところにいってしまうわ」
嘆息。
芝居がかった所作に、根っからの硬派系である局長や永倉が苛苛しているのがわかる。
「おそれながら、土方殿は生きておいでです、先生」
冷静に突っ込む、わが道をゆく系の俊冬。
「わかっています。でも、掌は届かないでしょう?ねぇ、土方君?ほら、こうして掌を伸ばして・・・」
おねぇは、そういいながら実際に掌を伸ばす。
いまだ畳の上で胡坐をかいている副長へと。
が、反射的に上半身をのけぞらし、片膝立ちになる副長。
いまにも飛び退って逃げだしてしまいそうなオーラがでまくっている。
刹那、おねぇのその掌を俊冬が掴んだ。神速である。
さしもの北辰一刀流皆伝も、俊冬の動きにはついてゆけぬらしい。
まあ、神道無念流や理心流の皆伝であっても、ついてゆけぬであろうが。
「先生、追うべきばかりが人生ではありませぬ。それよりも、先生を追う者、慕っている者のことを考慮なさってください」
俊冬は、頭部をわずかに傾けた。そのさきにいるのは、もちろん坂井である。
「かれだけではありませぬ。先生の実弟である鈴木殿をはじめ、幾人かの同志がいらっしゃいます。かれらは先生の死を悼み、おそらくはその遺志を継ぎましょう」
そして、新撰組に復讐を誓うだろう・・・。
真実をしる阿部と内海が、どこまで喰いとめてくれるか、だ。
「その者たちが生をまっとうできるようにされるのも、先生の義務かと。それと、花香殿が、先生のご無事を祈ってらっしゃいます。しばらく隠棲できるよう、寓居ではありますが準備しております。これは、先生の思想、活動に感動された今上帝より下賜されたものでございます」
かぎりなく低い声音で告げる俊冬。
おねぇの腕を掴む掌に、力がこもったのがわかる。
ふと、かれの掌の冷たさを思いだす。
おねぇもそれを感じているのだろうか・・・。
「まぁ・・・。帝が・・・?」
おねぇは、掴まれていない方の掌で口許を覆う。尊皇派のおねぇである。帝の一語をだせば、あとのことはすべて吹っ飛ぶにちがいない。
たとえば、なにゆえおねぇの思想や活動報告が帝の耳に入るのか、というようなことが。
「帝の意向となれば、従うよりほかありませぬね」
そして、おねぇはあっち以外のことは単純だ。
「坂井君と花香殿がすべて承知しています。先生、しばらくはゆっくりなさってください。ただし、ゆめ名や体を世間にさらされることのないよう・・・。おわかりになりますね?この一件、今上帝もかかわりがございます。生きているとわかれば、薩摩に狙われるだけでなく、新撰組、そして、今上帝の番犬に狙われることとなります」
俊冬の掌にさらに力がこもる。
同時に、俊春から異様なまでの殺気が放たれる。おねぇの口から短い悲鳴がもれた。
怯えた視線が、俊冬、俊春と順に送られる。
ここにきてやっと、双子がただの情夫でないことに気がついたらしい。
「土方君」
坂井に付き添われ、いままさに踵を返す段になったとき、おねぇは副長を襲った。
いや、これもまた愛刀「濃州住志津三郎兼氏」でではない。神速で懐に入ると、唇に唇を重ねたのである。
それはまるで、青春系ラブコメの一場面のようである。
つまり、「チュッ」といった軽いキスをしたのである。
そして、すぐに身をひいた。なので、さすがの副長も怒鳴りつける暇もない。
ああいう業は、皆伝の剣術よりもすごいんだろう。
「相馬君」
気が付いたら呼ばれていた。そして、おれもまた襲われた。おねぇの唇がおれのそれへあたったのは、ほんの一瞬のこと。
ああ、副長と間接キッスをしてしまった・・・。
奇妙な感動を、いや違う、なんてこと考えてるんだ、おれ?
おれのショックをよそに、おねぇは局長にちかづく。
局長とも別れのキッスをするのか?と思いきや、そこはなにゆえかこの時代のこの国の挨拶方法であった。
すなわち、一礼でもってすませたのである。
いや、そこもやはりすべきだろう、キッスを。
そして、原田には抱擁を。
俊春には濃厚なキスを・・・。
おねぇがおれたちのまえから、歴史から去った後も、おれたちは部屋でただぼーっと突っ立っていた。
おねぇをはじめ、服部と毛内、そしてなにより、藤堂が助かった。
これほどうれしいことはない。
いまさらだが、藤堂も生存説がある。新撰組の隊士の一人と水道事業の利権で大儲けし、大正時代まで生きていた、というものだ。
信憑性はかけるもの、ではあるが。
それとはべつに、かれには伊勢津藩の藩主藤堂高猷のご落胤説がある。
新撰組を語るにあたり、試衛館派のなかで山南につづいてはやくに亡くなったわりには、有名だし人気がある。
それは、現代だけでなくこの時代でも同様だ。
なにはともあれ、死なずにすんだ。名をかえ、ほとぼりが冷めてから、戻ってくることになるだろう。
江戸へ戻り、そこでしばらくすごす。
それは、おれがすすめた案である。
なにせ、 もうまもなく全員が京にいられなくなるのだから・・・。