丹波産黒豆も最高!
裏口から入ると、ほかの家屋とおなじようにここも厨になっている。
井上がまってくれていた。
亭主が「帰宅が遅くなるよ」、とLINEの一つも送ってこないものだから、苛苛しながらまっている奥さんのような気持ちにちがいない。
長い間借り手がいなかったのだろう。厨は殺風景だ。なんにもない。端のほうに、卓と椅子が一つずつあるだけだ。
井上は、双子をみて仰天した。
まぁ井上でなくても仰天はするだろう。
すぐに手拭で着物や袴についた血糊を拭いだす井上。
そのかいがいしい姿をみながら思った。
試衛館にいた時分から、局長や副長、沖田の面倒をこんなふうにみてきたのだろう、と。
おれもそうだ。おれが幕末にきてぶっ倒れ、目が覚めたとき、井上が介抱してくれていた。
みんなの兄貴分といういうよりかは、親みたいな存在なのだろう。
もっとも、そんな年齢でもないが・・・。
卓の上に、ざるが二つ置いてあるのに気がついた。
ちかづいてみる。
それに気がついたのか、永倉もついてきた。
二人でのぞきこんでみた。
「黒豆?」
永倉とおれがハモッた。
そう、どこからどうみても黒豆だ。それもたくさんある。
「まっている間、選別していたのだ」
井上がいった。
俊冬がおわり、つぎは俊春の顔を拭ってやっている。
「自身が出張らぬときは、いつもなにかをしておかんと落ち着かぬ」
俊春の顔を拭いつつ、井上はさらっという。
おれと永倉の視線があった。すると、永倉が口の形だけでいってきた。
「おれたちのことを案じてるんだ」、と。
「正月用の黒豆です」
自分の着物と袴に着替えなおし、俊冬が奥からでてきた。
入れ替わりに俊春が奥へときえる。
「義母のところから、たんと送ってまいりました」
「わお、じゃぁ丹波産なんですね?」
つい喰いついてしまう。
黒豆も大好きなのである。
できもしないのに、親父が挑戦したことがあった。
ちゃんと丹波産の、高いのを買って。
正月も関係のない仕事である。せめて黒豆くらいは、と思ったのだろう。
栗きんとんや伊達巻や数の子やごまめ、煮しめやくわいやなます、ではなく、よりにもよって黒豆である。
結果は惨敗。
まず、黒豆と錆釘とをつけておかなかった。
それをさしひいても、煮て直後に皺だらけになった。
さらには、長時間かけ、ことこと火を入れるところを短縮した為、煮汁が蒸発し焦げついた。
元日の夜、警察署から戻ってきた親父は、部下の奥さんが分けてくれたという黒豆のタッパーが入ったビニール袋を掌に下げていた。
その部下が刑事長である。
以降毎年、親父が死んでも黒豆をはじめとした御節料理を、刑事長の奥さんメイドのものをいただいた。
「黒豆?おまえんところでは、黒豆も高いのか?」
永倉がいっていた。
おれは、はっとしてしまう。
足許で、相棒がみ上げている。
「え、ええ、ええ、そうです。丹波産はなんでも高いのです。その分、とてもいいものですから・・・」
「そうか・・・」
原田あたりが、「いくらなんだ?」ときいてくるかと思ったが、おれの感傷チックな空気をよんだのであろう。なにもいってこない。
「選別してどうされるんです、井上先生?」
無駄に咳払いをしてから尋ねた。
「煮るにきまっておろう。正月もちかい」
井上ではなく、斎藤が至極まっとうな答えをかえしてきた。
あいかわらず爽やかすぎる笑みをたたえて。しかも、着物に点々とついた血糊を、井上に拭ってもらいながら。
「え?斎藤先生が?それとも、井上先生が?」
「できるわけなかろう」
「できぬ」
おれの問いに、二人の答えがかぶる。
「黒豆は、俊春が。義母直伝、うまいですぞ。ちなみに、わたしはそれ以外はなんでもできます。そろそろ、錦の市場へ仕入れにゆかねばなりませぬな」
俊冬だ。
さすが、というところであろう。
「すごいな。戻ってきて、誠によかった」
「なにいってやがる、平助。それだったら、まるで喰い物目当てじゃないか」
「左之の申すとおりだぞ、平助。みなを案じさせてばかりおって」
「そんなちっちゃい体躯で、どんだけ喰い意地張ってるんだ、おまえはよ」
藤堂の一言に、試衛館時代からの仲間たちがわく。
みな、ほんとうにうれしそうだ。
それを、複雑な思いで眺めてしまう。
正月はない。そう、正月に戦がはじまるのだ。
そして、その戦で生命を落とす者がいる。
いまここに、だ・・・。