きたっ 拡散野郎っ!
「わたしもおりますよ、永倉先生?」
「はあああ?おまえ、だれだっけ?」
最後の一人に、永倉は無情な一言を投げつけた。
おれだって投げつけてやりたい。
坂井だった。
こともあろうに二重スパイもどきの上におれを殺ろうとした。そして、いまでは御陵衛士隊内で相棒を凶暴化ウイルスに感染した怪獣であるかのようなデマを拡散しつづけている、あの坂井だ。
「坂井です。男前の坂井です」
どうやら、坂井も英語を学んでいるらしい。
ってか、自分でいうか?
「わかっている、この裏切り者が。どの面下げて立ってやがる」
「がむしん」が吠えた。
「ですから、男前だと申して・・・」
「グッドなんたらだぁ?てめぇっ、なめてんのか」
拳を振り上げ、ついに「がむしん」が切れた。
男前の意味がわかっているのかどうかはべつにしても、まぁ「がむしん」でなくても切れるな。
「やめろ、新八」
「やめなよ、しんぱっつあん」
井上と藤堂が間に入った。
「ふふん、あいもかわらず獣だな「がむしん」?もう一匹の獣とおなじだ」
阿部が侮蔑の言葉とともに嘲笑した。
「いかがいたした、その相貌?」
局長だけではない。月光の下、それをみたおれたちは一様に驚いた。
「チョイ悪親父」の顔が、いや、おそらく頭全体だろう。痣だらけこぶだらけ、なのだ。
「原田先生と戦ったされたのです」
山崎が控えめに教えてくれた。しかもファイトなど使って。
山崎とおれの瞳があうと、かれはにやりと笑って両肩を軽くすくめた。
「しかも、左之さんにめちゃめちゃ殴られて・・・」
藤堂がくくくと笑いながらいうと、阿部がむっとしたようにいい返した。
「一方的にやられたように申すな。わたしも殴られた分は殴り返した。一方的にやられたのは、この色きちがいの役立たず野郎のほうだ」
阿部はそういって指差した。その先に坂井の右半面がある。
そういえば、ずっと左のほうに頸と顔を向けている。そちらにはなにもないしだれもいないのに。
「こいつ、みせてみろ」
存在感薄薄の内海が飛びかかった。両掌で坂井の顔をがっしり掴むと、無理矢理こちらへ向かせる。
わお・・・。左半面がまるでお岩さんだ。原田がフルボッコにしたに違いない。
「なにをする?だいたい、おまえらは醜すぎるのだ。ゆえに、先生からみ捨てられるのだ」
「なんだと、この色きちがい野郎っ」
「きき捨てならぬっ!このさかり野郎っ」
阿部も内海も怒り心頭だ。
坂井、トラブルを巻き起こす男・・・。
しかも、投げかけられる悪口は、そっち系のものだけだ。
「やめろ、おまえら。なに内輪もめやってんだ?」
「内輪などと申すな」
「内輪じゃない」
「失敬な、かような醜男どもと一緒にするな」
永倉の呆れたような言葉に、三人がトリオった。
「なんだと?貴様など、顔がましであれがでかいだけではないか?」
内海が叫んだ。まるで小学生の喧嘩だ。
しかも、あれのでかさをしっている?
「充分だ。どちらも先生は重要視されていらっしゃる」
坂井がしれっと答えた。
そうか、おねぇはあれのでかさを・・・。
ならば、おれは・・・。
いやいや、なにを考えているおれ?
「この野郎っ!」
このせまい裏庭で、三人はついに取っ組み合いをはじめた。
まさしく子どもの喧嘩だ。
「やめろっ!」
その瞬間、一喝とともに拳固が三人の頭にもろに入った。
取っ組み合ったままフリーズする三人。
「まったく、どこも童じみた者ばかりで困る」
拳固をふーふーしながら、そう呟いたのは井上だ。その隣で、局長が苦笑している。その童の一人なのだろう。
相棒も「ケンOン」笑いをしている。
三人は、ぴたりと喧嘩をやめた。拳固を喰らったところを掌でさすりつつ、頬をふくらませている。
「兎に角、わたしは承服いたしかねる。かようなやつに・・・」
阿部は、人差し指で坂井を示した。
「先生を託すなどと・・・」
「なれば、このまま薩摩に消されてもよいと?」
不意にいいだしたのは、俊冬だ。
阿部と内海ははっとしたようにかれをみた。
「このことをしっているのは、御陵衛士のなかでも貴公ら三人のみ。伊東先生は、この日の本をかえた漢が暗殺された真相をしってらしゃる。真犯人がそれを見逃すと?ここで先生が新撰組に暗殺されたということにしておけば、真犯人はほっとするだろう。否、最初からそうなるであろうことがわかっていて、先生を利用していたにすぎぬ。きみらは、理不尽に感じるだろうが、なにも気づかぬふりをし、先生の本懐を継いで遂げるがいい。ただし、さらなる真相をしっているものきみら三人。それぞれの立場もあろうが、できるだけ新撰組に害のない方向へ尽力してほしい。先生を助けた新撰組がその罪で処断される。これもまた理不尽」
俊冬もまた、その語り口調がうまい。
これは坂本にも負けぬほどだ。惹きこまれてしまう。最高のプレゼンターだ。
おねぇは、薩摩に坂本の情報を流していた。それを薩摩は利用した。おそらくは今井に流し、今井が実行に移した。
たしかに、おねぇは真相をしっている。いや、実際は気がついていないのだろう。自分の情報によって坂本が暗殺されたということを。
だが、それを阿部や内海がしるよしもない。
おねぇもまた暗殺されたことにし、残る御陵衛士は薩摩へと身を寄せる。阿部と内海だけが真実をしっている。薩摩に不信感を抱きつつ、新撰組への報復などできるだけ回避するようもってゆく。
もっとも、薩摩にとってかれらは党首亡き後のごろつきにすぎぬだろう。その権限、根回しが通用するかははなはだ疑問だ。
が、いずれにしてもこの先、かれらがいようがいまいが、新撰組が薩長にとって憎き敵であることになんらかわりはない・・・。
「先生と土方殿の言をきいたであろう?」
俊冬がいっていた。いまやこの場にいる全員がかれをみていた。
阿部と内海には、双子はおねぇの昔馴染みということになっているのだろう。
「ああ、そこはわかっている。われわれもともにいたのだ。副長のことはある程度わかっている。が、わたしが懸念しているのはこいつだ、こいつ」
阿部は執拗だ。またしても人差し指で坂井を指し示す。
「あぁ坂井君か?問題ない。そうだろう、坂井君?」
俊冬のさわやかな笑みが、月明かりの下輝いた。
なんと、それにうっとり魅入る坂井。
「花香殿に後事を託している。先生は、しばし休養され世の情勢が落ち着いてから、第二の人生をあゆまれるであろう」
阿部と内海は互いの相貌をみ合わせた。
「信じていいのだな?」
「無論。きみらはしらぬが、先生はわたしと弟をずいぶん愛してくださっている。それはこの坂井君の比ではない」
ウゲッ・・・。おれは、下顎を落としてしまった。
さりげなく新撰組のメンバーに視線を向けると、局長も井上も永倉もポーカーフェイスがひきつっている。
「先生がそれ以上に愛されているのがだれか・・・。それはきみらもしっていよう?そういうわけだ」
どういうわけか・・・。
おれにはよくわからん。
いや、わかりたくないかも。
「きみらは鳥撃ちにいったことになっている。しばらくときをおき、高台寺の小者からきいたといって薩摩藩邸にゆくのだ」
ふたたび、阿部と内海は互いの相貌をみ合わせた。 それから不承不承といったていで頷いた。
「正直なところ、先生の思想がいまの情勢にそっているとは思えない。否、情勢が一人歩きしてしまっているようにみ受けられる。薩摩が先生を必要としないことは、先生自身も感じられていたと思う。坂本先生を売ったこと、先生も苦渋の決断だった。先生ご自身ではなく、わたしたちの為に・・・。藤堂君、きみにも悪いことをした。きみは新撰組に残すべきだった」
存在感薄薄の内海。じつはよくみ、理解していたのだ。
「阿部さん、ゆこう。その相貌を冷やさないと」
「くそっ、まだ勝負はついておらぬというのに・・・」
内海に促され、「チョイ悪親父」は悔しげにいいながら相棒のまえに膝を折った。
「さわっても?」とおれにきいてきたので、無言で頷いた。
「坂井の馬鹿め、かようにおとなしく利口な犬ではないか・・・」
阿部は、まるでそこに坂井がいないかのようにいいながら、相棒の頭を、それから顎の下をやさしく撫でたりかいたりした。それから、頭を抱きしめた。
「わたしには思想などどうでもいい。面白い人の下で、面白いことができればいいだけのこと」
悔しげな呟き・・・。
「阿部君、塗り薬だ。冷やした後にそれをすりこんでおきたまえ。ああ、案ずるな。それはわたしの処方だ」
山崎が阿部に小さな袋を放った。
そのジョークともマジともいえる言葉に、局長、井上、永倉、藤堂、双子、おれが苦笑する。
阿部と内海もまた、裏木戸の向こうへと消えた。
明治維新後、内海がどうなったかはわかっていないが、阿部は弾正台や開拓使を経た後、北海道庁に出仕、退官後はりんご栽培に尽力する。