男子厨房に入るべからず?
「おうっ主計、こっちこっち」
大広間までゆくまでもなく、客間のまえをとおりかかったところで永倉によびとめられた。
「おれたちにはおまけがあるらしくってな。今宵はここで喰えってこった」
客間に入ると、永倉、吉村、島田、林が一杯やりつつ鰤刺しをつまんでいた。
永倉の太い指が一つの膳を指した。
野菜てんこ盛りの鰤のあら汁、鰤刺し、玄米、それと空の椀がのっている。
「厨であだだげえ饂飩をいれでぐれる」
おれが空の碗をみつめていることに気がついたのだろう。吉村がなにかいった。
にっこり笑って頷いておいた。
かろうじてききとれた厨とうどんで推察するに、厨にいったらうどんをもらえるのかもしれない。
なので、おれは空の碗をひっつかむなり厨へとダッシュした。
はやくしないと、置いていかれる。
もっとも、どこかにゆくのなら、の話だが。
鰤刺しもあら汁も饂飩もうまかった。
俊冬だけでなく俊春もだが、あんなでかい寒鰤をさばいたり、饂飩も手打ち、くわえて薬膳料理までつくってしまうとは・・・。
もしかして、フレンチやイタリアンもつくれたりするのだろうか・・・。などと、ありもしないことを考えてしまう。
フレンチのシェフが戦国時代にタイムスリップし、織田信長の料理人として活躍するコミックのことを思いだした。
その時代の日本にあるもので、じつによくアレンジしていた。
とはいえ、思いだしても思考はすぐ現実の喰い物へともどってしまう。
きっと、双子のほうがうまいにきまってる。そういいきれるほど、双子のつくるものはうまいのだ。
「ごちそうさまでした」
おれは掌を合わせ、あらゆるものに感謝をし、夕餉をおえた。
「さて、と。そろそろ準備せねばな。酒がすぎるといかん」
永倉の呟きで、林も島田も同時に杯を置いた。
そうだ、今宵、永倉と原田をリーダーに、二番組と十番組を中心として選ばれた三十名の隊士たちが油小路に潜み、御陵衛士たちを殲滅するのだ。
「左之は?ああ、非番だったか?だが、そろそろやってきてもよさそうなもんだがな」
永倉の陰気な声で、そういえば原田の姿をまったくみかけていないことに思いいたった。
「おい、どこへゆく主計?」
膳をもって客間をでてゆこうとすると、永倉に呼び止められた。
「双子先生と野暮用ですよ、永倉先生。先生は、こちらで待機ですか?」
「そのはず、だ。が、まだ下知がねぇ・・・」
永倉も自分の膳をもち、ゆくぞと顎で促された。
厨へと廊下をあるきはじめると、永倉が声を潜めていった。
「夕餉までに、土方さんと左之と最後の打ち合わせをするはずだった。が、二人ともいないときたもんだ」
なるほど、さきほどは島田と林、吉村の手前、ごまかしたのか。
「まぁ左之は忘れてるってことも考えられるが、土方さんが忘れるなんてことあるものか」
いや、左之もありえんわな、と口中でつづけたのがわかった。
原田は、ああみえて任務や約束事に関してはしっかりしているのである。どちらかといえば、永倉のほうがずぼらでいい加減な面がある。
「それで、おまえは?双子とどこへゆくつもりだ?そういや、利三郎が、土方さんと左之とおまえと三人、昨夜、連れだってどっかいったといってたな・・・。なんかしってるんじゃないのか、ええ?」
永倉の声がじょじょに大きくなってゆく。
「しりませんよ」
おれは、自分の想いをその一言で要約した。
「ああ?そんなわけないだろうが」
永倉が怒鳴った。
それは、静かな廊下にこれでもかというくらい響き渡る。
厨にはだれもいなかった。
おれたちは、とりあえずはそれぞれの皿やら椀やら湯呑やらを洗い桶へつけ、膳を納戸にしまった。それから、手分けして洗い、洗ったものを布巾で拭いてから棚にしまった。
一人暮らし歴のながいおれは兎も角、永倉の手際のよさには正直驚いた。
「なんだ?」
「いえ、すごく慣れていらっしゃる、と」
「くそっ、こういうところはみられたくないんだよ」
その永倉の表情と言葉は、以前、道場ではちあわせしたときのことを思いださせた。
永倉は、深夜、だれもいない道場でこっそり素振りや型の稽古をしているのだ。それにでくわしたのである。
永倉は、そのときに「鍛錬をするところをみられたりしられたりしたくないんだよ」、といっていた。
「小常さんのお手伝い、ですよね?すごいなぁ、これぞよき夫、よきパパ、もといよき父ですよ」
おれの心からの讃辞を、永倉は「ちっ」と舌打ち一つでうけながした。
「おお、新八に主計」
そこにあらわれたのが局長だ。膳を抱えてのご登場である。
局長は、おれたちの挨拶をききながしながら、おれたちとおなじように片付けだした。しかも、じつに手際がよい。
あぁなるほど。局長もまたお孝さんの手伝いを・・・。
男子厨房に入るべからず・・・。
それは、日本に昔からあり、昭和も中頃くらいまで脈脈とうけつがれている概念の一つ、あるいは昔話的なものとばかり思っていた。
ところがどっこい、世の夫は妻のお手伝いをするんじゃないか?
「近藤さん、土方さんはどうした?今宵の打ち合わせをせにゃならん」
お勝手に、ごつい男二人がならんで食器を洗ったり拭いたりしている後姿。
そこはかとなくシュールである。
嫁に逃げられた中年の男どうしのようにみえなくもない。
「今宵?ああ、ああ、そうであったな」
「はあ?近藤さん、あんた、なにいってんだ?まさか、忘れてたってわけじゃあるまい?それに、もうまもなくおねぇとの約束の刻限だろう?こんなところにいていいのか?」
永倉の押し殺しているであろう指摘が、厨に響き渡っている。
「新八、わかっておる。それがなあ・・・」
局長がいいかけたところで、厨の勝手口がすっと開いた。
「局長、刻限でございます」
寒風とともに厨に顔をのぞかせたのは、双子の兄だ。
「わたしは、こういう隠密っぽいことが苦手でな。俊冬、新八と主計も連れていってもよいか?」
「局長は、万事なにごとにも誠心誠意、正直なお方でございます。心苦しうあれど、新撰組の為しばし我慢をいただきたく・・・」
俊冬のよいしょに、局長は太い指先で頭をぽりぽりかいている。
「ところで永倉先生、今宵の人数はあつまってらっしゃいますか?」
「いや、まだはやい」
「なれば、屯所で沙汰があるのをおまちいただくよう下知いただけますかな?ともに参られよ、永倉先生」
永倉は、俊冬の謎めいた誘いについて、かんがえることすらしない。
「面白そうだ。面白いことにきまってらぁ。よしっ、伍長二人に待機するよういってこよう」
そして、意気揚々と厨をでていった。
その数分後、おれたちはこっそり屯所をぬけだしていた。