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久吉と「黄帝内経」

 局長は、愛馬からさっそうと下馬したところだ。


 二条城に登城する際、騎馬を使うことを許されているからだ。


 それは、武士として認められているということである。


 馬の口取りである小者が馬をひいてゆこうとしていた。


 久吉ひさきちという名のその壮年の小者は、真面目で口がかたく、局長が気に入り信頼している。 かれもまた農民出で、武士になるという夢をもっている。


 道場で一生懸命素振りをしているのを、おれはいつも感心してみている。


「局長、おかえりなさいませ」

 双子は並び立ち、同時に頭を下げた。

 そこには、一国一城の主の帰城を出迎える老中のごとき重厚さが漂いまくっている。


 もっとも、作務衣姿というところがちょっとイタイが。


「久吉さん、夕餉ができております。あたたかいうちに召し上がってください」

 俊冬は、頭を上げてから久吉に告げた。


 陽にやけた久吉の顔に、うれしそうな笑みが浮かんだ。


「ありがたい。体躯が冷えてしまっている。こいつの世話がおわったら、さっそくよばれるとしましょう」

 久吉は、笑いながら「双子先生の飯はうまいから」とつけくわえた。


 双子は、いつの間にか双子先生と呼ばれ、すっかり新撰組に馴染んでしまっている。

 さすがは隠密。こういうテクニックは、スキルだけで身につくものではない。


 目立つことなく、それでいてまわりから認識され、頼られる。そして、組織の幹部に認められなければならないのだ。


「今宵は、寒鰤のあら汁です。二杯目は、そこに饂飩と卵を入れてください」

「おおっ」

 歓喜の声を上げたのは、久吉だけではなく局長もだ。そして、二人は顔をみ合わせ、笑った。


「ならばはようゆかねば・・・。さあ、ゆくぞ」

 久吉は、局長にぺこりと頭を下げ、馬を連れて馬小屋のある方へと去っていった。


 おれは、その小柄な背をみながら複雑な気分だった。


 かれももう間もなく死ぬことになるからだ。

 おねぇの死後、御陵衛士の残党たちが局長をまち伏せし、襲撃する。その際の狙撃で局長は肩を撃ちぬかれ、久吉と隊士の一人が死ぬのだ。


 いいや、死なせたくない。かれも死なせたくない。どうして死ななければならない?それをしっていて、み殺しにすると?


 おねぇさえ死ななければ、今宵、おねぇの暗殺さえなければ、かれも死ぬことはない。

 そう、すべてはおねぇが生きぬくことにかかっているのだ。


「わたしも寒鰤を食したいものだ。日野むこうでは、なかなかに食せぬものでな」

「局長、失礼ですがお顔の色が・・・。胃の腑に痛みがございましょう?なにかとお気にかけすぎのようです。局長には、薬膳を準備しております。あぁわずかですが、寒鰤も添えておりますゆえ」

 局長と俊冬がぼそぼそと会話していた。


 俊冬は、そんなことまでわかるのか・・・。しかも、薬膳料理?


「「黄帝内経こうていだいけい」を素に、清の国の調理人より学んでおります。局長のお口に合うよう工夫しておりますゆえ」

「俊冬・・・」

 局長はじんわりきたのだろう。ごつい顔のがうるうるしているのが、薄暮のなかでもよくわかる。


「ありがたし。すぐによばれよう。時間ときがないであろうから」

 分厚くおおきな掌で、俊冬と俊春の肩をばんばん叩く局長。それから、あるきだそうとしてやっとおれたちに気がついたようだ。


「おぉ兼定、それに主計」

 う・・・。おれは相棒のつぎか・・・。


「兼定、夕餉はいただいたか?」

 局長は、相棒の頭をさすがに叩くことはないが、頭蓋骨が軋むほどの力でごしごしと撫でまわした。そして、おれの肩にはり掌を喰らわせると、あわただしく玄関のうちへと消えていった。


「「こうていだいけい」?それ、なんですか?」

 頭のなかのウィキを探ってみたが、まったくヒットしなかった。


「清の国の最古の医学書のことだ。なにをしておる、主計?はよう夕餉を喰ってこい。俊春、兼定の夕餉を」

「はい、兄上」

「いえ、まってください。副長がいなくなったこととおねぇがいなくなっていること、この二つは偶然ではないですよね?」

 おれは、俊冬の間合いをおかさぬ位置まで詰め寄ると、マジな表情かおで尋ねた。


「超ペコるーっと申しておる」

「ひいいいい!」

 右耳に囁かれた。おれの驚き方のレパートリーも、なくなりつつある。


 そんなおれをスルーし、俊春は相棒の首輪から綱をはずした。

「おや、ずいぶんとぼろぼろになっているようだ」

 膝を折った俊春は、そんなことをぶつぶつ呟いている。


「あら汁のいいだしがでているぞ。案ずるな、ねぎの類はいっさい入れておらぬ。里芋と京人参を刻んで入れておいた。いってもよいか、主計?」

「えぇお願いします、俊春殿。相棒、たんとご馳走になるんだ」


「兄上、超ペコるーっとはなんなのでしょうな?」

 その疑問を残し、俊春と相棒は連れ立って裏へと去っていった。


 ぐるるるる・・・。

 静けさを取り戻した表玄関に、おれの腹の虫が鳴り響いた。


 まさか・・・。

 今日一日、饅頭やらこづゆやらを堪能しまくったといのに・・・。


「体躯は正直だ。主計、局長の夕餉がおわりしだい、すぐに参る。おぬしのしつこさには負けた。ゆえに、はよう喰ってまいれ」

 俊冬は、おれに背を向けると厩のほうへとあるきだした。

 四本しか指のない掌をひらひらさせながら。


 おれは、食堂を兼ねている大広間へとダッシュした。

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