花香とおねぇ 帝と将軍
本日二度目に訪れた「饅頭屋」で、おれたちは花香と向かい合っていた。
厳密には、俊春と花香が隣り合わせて座り、おれと俊冬が向かいに座った。
子どもらは、相棒とともに外に設えてある長椅子で、これもまた本日二度目の酒饅頭にありついている。
そして、新選組のだれかがやってこようとしたら、店内に入れぬよう、いい含めてあった。
子どもらは、こういった秘密めいたことが大好きだ。全員が瞳を輝かせながら頷き了承した。
おれは、小柄で清楚な花香をみつつ、女装した俊冬がその名をいっていたのを思いだした。
さらに記憶の糸をたどると、あることがおぼろげにわいてきた。
そうだ、おねぇが京で落籍せた芸妓が、花香太夫だったということをだ。
そのおねぇの情婦が、いったいおれになんの用なのだろう・・・。
「その節はお世話になりました、花香殿」
「いいえ、こちらこそ。妹様は、お気の毒でございました」
「結局、下手人はわからずじまい。町奉行所も、たいしたことありませぬな」
俊冬は、声を潜めてからみじかく笑った。
俊春と瞳があった。
元町奉行所の筆頭同心は、華奢な両肩をすくめた。
先日の双子の手下の殺害のことに違いない。
仙助として、天神である妹が殺されたということにしていたのだろう。
「花香殿、相馬先生になに用で?新選組にちかづくのは、あまりいただけぬと思いますが」
俊冬が訊ねると、花香は卓の上に身をのりだした。
「後生でございます。どうか旦那様をお助けください。相馬様の名を、旦那様よりききました。土方様の名も再三きき及んではおりますが、土方様は新選組ではお偉い方だと」
おおきな囁き声に、おれは慌てて口のまえで指一本立ててしまった。
「旦那様?あぁおねぇ、もとい伊東先生のことですね?」
おれは、被害者、あるいは被害者家族に接するようにやさしくいった。もちろん、花香はまだ被害者の関係者というわけではない。
あくまでもそういう接し方、という意味である。
つまり、表情もやわらかくし、相手が心をひらけられるようにするわけだ。
花香は、芸妓としてはすでに盛りをすぎていた。持病があり、それでも故郷へ仕送りをするために太夫をつづけていた。
そこに、おねぇと出会った。
太夫ともなれば、そこそこの器量だけでなく聡明さもなければつとまらぬ。
さらには、客もそこそこの人物ばかりだ。自然、政への関心もでてくるだろう。あるいは、そういう類の話題が、いやでも耳朶に入るだろう。
自分の思想をただだまってきいてくれる。
おねえにとっては、いい相手だったに違いない。
新選組時代に、別宅をもつという名目で花香を落籍せたのだろう。
そこを自分の活動の拠点にするためのカモフラージュだ。
そんな事情は兎も角、おねぇは花香にたいして情婦というよりかは、妹のように接していたらしい。使用人でもなく、だ。
「これまで働きづめだったのだから、これからはゆっくりするといい。医者にみてもらい、養生して体調がよくなれば、故郷にかえってもよし、このままともにいてくれてもいい・・・」
おねぇは、常日頃そう語っていたそうだ。
借金を返し、残りの金子は故郷に送った。それだけでなく、定期的に金子を送るよう、ある程度の額を渡してくれるという。
ここは大人な話題だが、そっちのことはまったくない、と。
まだ太夫であったときから、おねぇは花香をいっさい抱かなかった。いつも語るだけで、あるいは花香の語るのをきくだけで、満足している・・・。
まぁそこの欲求の解消は、女性ではなく男性と、というわけなのだろう。
それをさっぴいても、おねぇ、けっこう男前じゃないか・・・。
おれは、おねぇをすこしだけみなおした。同時に、花香もいい女性だと思った。
ゆえに、かのじょを悲しませたくない、と心から感じた。
そう思いつつも、おれたちはかのじょの得たい答えを提示できなかった。
「饅頭屋」の暖簾をくぐってでてゆくかのじょの背を、おれたちはなすすべもなくみ送った。
「昨夜のことですが・・・」
おれは、かのじょのことをいったん頭から追い払うことにした。それから、ようやくきりだした。
花香が座っていた椅子に、いまは俊冬が座している。
双子は、同時におれの顔をみつめた。
「どうもよく覚えていないのです。酒をすぎたわけでなく、それどころか一滴も呑んでいないのに、記憶が曖昧なんてこと、ありますか?」
おれは、双子の例の不可思議な瞳を見据えたまま、いっきにまくしたてた。
「中将の遣いをはたして参った」
「はあ?」
俊冬は、あいかわらずマイペースだ。おれの思いのたけをスルーし、そんなことをいいだした。
「帝は、数えで十五歳。どれだけ孤独で寂しいことか、想像できるか、主計?」
「え?いえ、正直、わかりません」
話がおおきすぎて理解できない、というのが本音だろう。
「傀儡・・・。実権も玉璽も帝の掌中にはあらず」
俊冬は、おれの瞳から自分の瞳をそらそうとしない。おれもそらすことができなかった。 いつもの違和感はべつとして、俊冬の瞳に惹きつけられていた。
おれがはっきりと映っている。まるで鏡だ。そこに映っているおれ。おれがおれをみつめている。
おれは、いったいなんなのだろう・・・。
「われらは救えなんだ」
おれは、その一語で鏡のなかの自分から解放された。
「われらは、先帝、前の将軍、ともに殺してしまった」
「いったいなにを・・・」
おれは絶句した。酒饅頭を蒸すにおいが鼻梁をくすぐる。
「主計、孝明天皇はなにゆえ崩御された?前の将軍は?」
卓越しに、俊冬の四本しかない掌がおれの左腕を掴んだ。
「急になんなんです?」
おれは、おれ自身の問いをはぐらかされているのかと思った。
布越しに、俊冬の掌の冷たさが感じられる。
冷え症なのだろうか、かなり冷たい。
やっとのことで俊冬から瞳をそらせ、その隣の俊春へとそれを向けた。
当然のことながら、かれもおれをみている。やはり、澄んだ瞳だ。
おれ自身が、二つの瞳に映しだされている。
おれは、二人の無言の圧に負けた。肩をすくめてからわずかに姿勢を正した。それから、声のトーンをかなり落とし、覚えているかぎりのことを告げた。
「孝明天皇は、天然痘・・・、疱瘡というんですね、疱瘡で。第十四代将軍は、脚気が悪化したものだと、それぞれいわれています」
卓の上においてある俊春の三本しかない掌、それから五本ある掌がぐっと握り締められた。
俊冬とまた瞳があったが、そこにおれはいなかった。
なんとも形容しがたいものが、おれにとってかわって揺らめいていたからである。
「ですが、どちらもある説が、大分先の未来であってもぬぐいきれておらず、真相はわかっていません」
そうつづけたおれの声は、緊張と不安でかすれていた。
自分でもわからない。なにゆえ緊張し、不安なのか・・・。
「主計、答えてくれたことに礼を申す。そして、取り乱したことには謝罪いたす」
俊冬の左掌がおれからはなれ、かれは卓から身をひいた。
「昨夜のことであったな?」
まるでさっきのことが白昼夢であったかのように、さわやかな笑顔できいてくる俊冬。
この急変ぶりに、おれはまだついてゆけず、思わずまた俊春をみてしまった。
かれは、無言のまま華奢な両肩をすくめた。
「主計、そうだな・・・。救いたいのであろう?なれば、おぬしはしらぬほうがいい。なにもしらぬほうがいいだろう。なあに、悪いようにはならぬ。だれにとってもな」
俊冬は、そういってからおれの掌を、四本しかない左掌でぽんと叩いた。
触れたのはほんの一瞬だけだったが、その冷たさはぞっとするほどだ。
気の毒に、脚も冷えまくっているに違いない。
きっと、寝るときに靴下、もとい足袋が必需品なはずだ。
そんなどうでもいいことを考えているうちに、双子は「饅頭屋」の暖簾をくぐって外にでていっていた。
「双子先生、ちゃんと見張っていたよ」
「双子先生、いいつけをちゃんと守ったので、蕎麦と饂飩に卵を入れてよ」
外から子どもたちの元気のいい声がきこえてくる。
結局、真実は蚊帳の外だ。というか、おれ自身、蚊帳の外に置かれている感が半端ない。
暗殺・・・。
150年以上経った未来でも、孝明天皇、そして将軍家茂につきまとうこの二文字。
真相は、わからない。
だが、おねぇに関しては、おなじこの二文字は真実となるのだ・・・。