心やさしき藩主
「おおっ!誠に狼のようじゃ」
会津候も桑名少将も、相棒をみて子どものようにはしゃぐ。
重臣たちもどよめいている。
ジャーマン・シェパードがこれだけもてはやされるとは、相棒もシェパード冥利に尽きるであろう。
その相棒は、どこ吹く風でお座りしている。
「おそれながら・・・」
時代劇のワンシーンを思いだしつつ、そうきりだす。
「会津候も桑名少将も、犬がずいぶんとお好きなようにおみ受け致します」
兄弟の表情が、ぱっと明るくなる。
どこか遠い眼になり、それから同時に照れた笑みが浮かぶ。
「まだ養子にだされるまえ、犬を連れかえっては叱られたものじゃ。のう、定敬?」
「御意・・・。元の場所に戻してこいといわれ、泣きながら連れていったものです」
「そして、またおなじことをして叱られる・・・」
「おそれながら、いまだにかわらぬではありませぬか、殿?」
会津候が弟から引き継いだところで、重臣の一人が苦笑しながらさえぎる。
「二度だけじゃ、土佐・・・」
会津候は苦笑する。
会津藩主、そして京都守護職という地位にありながら、捨て犬を連れかえったことが二度もあったというのか?
会津候が、好きになってしまう。
「犬だけではありますまい、殿?猫も、でござろう?」
土佐と呼ばれた重臣は、庭の向こう側を指差す。
局長と副長とともにその指のさきを追うと、猫の親子がのんびりあるいている。
「母猫を殿が拾ってまいった。それが、仔をなした」
土佐の説明に、会津候は唸る。
「これはなんじゃ?わたしへの諫言か?わたしは、仔犬や仔猫の啼き声に昔から弱いのじゃ。それをきいたら、懐に入れて連れかえらずにはおられぬ・・・」
局長が笑いだす。それにつられ、副長も。もちろん、おれも。
桑名少将や、会津藩の重臣たちも笑っている。
会津候の人となりが、よく理解できるエピソードである。
「さわってもよいか?」
ひとしきり笑った後、桑名少将に尋ねられる。
「噛み付きませぬゆえ」
また時代劇のワンシーンを思いだしつつ、答える。
「犬は、わかっておりまする」
兄弟は相棒にちかづくと、そのまえに膝を折る。
ほんとうに好きなのだ。接し方をよく心得ている。
こういった武家の棟梁でも普通の人間なんだな、とつくづく感じてしまう。
その後、相棒とともに、臭跡捜査や威嚇攻撃などを実践した。
会津候も桑名少将も、感心するだけでなくさまざまな質問をぶつけてきた。
「犬は、犬種によって性格が違いますし、用途も違います。というよりかは、用途によって人間が犬種同士をかけ合わせてつくりあげます。無論、おなじ犬種でも個体差があります。育つ環境によって、それは決まります。この犬種は、忠誠心と服従心の強い犬種です。そして、訓練が大好きです。ゆえに、作業をする用途として用いられることがおおいのです」
現代のジャーマン・シェパードは、幕末より遅い1890年頃にドイツで軍用犬としてかけ合わされたはず。
「このあたりにいる犬も、訓練すれば兼定のようになれるのか?」
会津候の問いに、一つ頷く。
「ある程度は。ですが、日の本の犬は、どちらかといえば猟に向いています。獲物を追いかけたり追い込んだり、といったような。そもそもの特性が異なります。ですが、日の本の犬も、主人にじつに忠実です。主人の為ならば、身を挺して護ったり攻撃したりするはずです」
『忠犬ハチ公』のように、主人を待ちつづけたり、というように。
会津候は、相棒をいたく気に入ってくれたようである。
意外なことに、その相棒もまんざらではなさそうである。
相棒は、ここにきてすこしかわったような気がする。
丸くなった、という感じがしないでもない。
古巣に戻ってリラックスしているような、そんな気がするのはただの気のせいなのであろう。