救世主(メシア) それはおねぇ
「土方君っ!」
これ以上にない金切り声は、室内のみならず「角屋」じゅうに響き渡ったにちがいない。
おれは顔をまた正面に向けた。忙しいことこの上ない。
なんとおねぇが、あのおねぇが開け放たれた部屋の入り口に立っていた。
地味な柄の着物の上に、ど派手で奇抜な色合いの羽織を着ている。どういうコーデなのか?これは、世間一般的にイケテるのか?
おれの脳内に、そんなどうでもいいことがでんとあらわれた。
「土方君、しっかりなさい」
またしても金切り声。それでも副長はぽーっとしたままだし、花葵は超音波のごときおねぇの金切り声すらスルーし、仕込み刀を副長の喉元にちかづけようとしている。
「こりゃみものだ」
おれのすぐ後ろで原田のうれしそうな声がきこえてきた。
襟首はまだ掴まれたままだ。この情けない光景は、どこからどうみても宙吊り状態の猫だ。
おれの醜態は兎も角、いまのおねぇにはおれたちもみえていないらしい。なりふりかまわず室内に入ってきた。
が、はたとその脚を止めた。無掌であることに気がついたのだ。正確には、無腰であることに。
この花街のしきたりで、腰のものは店先で預けねばならない。それはたとえ天子様であろうと将軍様であろうと遵守せねばならぬ。花街の掟の一つだ。
もっとも、天子様がおみえになるということはないだろうが・・・。
「俊春っはやく、はやく土方君を救いなさい」
え・・・?おねぇのその命令に、おれはおねぇのど派手な羽織の向こう、廊下の暗がりに瞳をこらした。
その瞬間、廊下から一陣の風が室内に吹きつけた。
はっとしてみ下ろすと、花葵は顔面から畳におしつけられていた。
両腕は背中の後ろでねじりあげられ、きれいな顔を畳におしつけられている。
もちろん、おしつけているのは・・・。
「よくやってくれたわ、俊春。さすがはわたしのかわいい男の一人ね。土方君、土方君、大丈夫ですか?俊春、その女をわたしたちのいた部屋に連れてゆきなさい。汚らわしい。あとでゆっくり詮議しましょう」
「はい、先生。わたしは?わたしはどうすればいいでしょうか」
俊春は、花葵をとりおさえながらなよなよ感満載でききかえした。
「馬鹿な男ね。あなたはもう十二分に堪能したでしょう?部屋でその汚らわしい女を見張っていなさい。わたしは、土方君を介抱をしなければなりません」
「そんな・・・」
俊春は、瞳にみえてシュンとした。
いや、ちょっとまて。この突っ込みどころ満載の展開はいったいなんだ?
さしあたって、副長にとっては一難さってまた一難でしかない。しかも、難のハードルは超絶高くなっている。
おねぇに介抱?された副長は、いいや、ぶっちゃけおねぇに抱き寄せられ、そのまま力いっぱい抱きしめられているというのに、副長の反応がない。いつもの副長だったら、「やめやがれ、馬鹿野郎!」とか「斬り捨ててやる」とか、物騒きわまりないリアクションがあってしかるべきだ。
これはきっと、花葵が一服盛ったに違いない。なにを盛ったかはわからないが・・・。
「副長、しっかり・・・」
おれはいいかけたが、原田に後頭部を思いっきりはられた。そして、さらに宙吊り状態にされてしまう。
「原田先生っ!」
おれは力いっぱい怒鳴った。背後の原田の顔をみ上げようにも、身動き一つできない。
「甲子太郎殿、この女子のことは、おれたちがひきとらせていただきます。副長のこと、頼めますか?屯所から人を連れてきます」
原田の提案だ。しかも、甲子太郎殿?一瞬、だれだかわからなかった。
なんてことだ。原田の提案は、副長にいろんな意味で死ねといっているのもおなじことだ。しかも、男として死ねるかどうか、はなはだ疑問だ。この場合の男というのは、プライドや主義のことではない。そっち系の意味でだ。
「それはいけませんよ、左之助さん」
おねぇは、副長のさらさらの頭髪から顔をあげていった。恍惚とした表情をしている。しかも、原田のことを名前でよんで・・・。
「俊春に送らせます。大丈夫です。しばらく休ませれば・・・。そうですね、大丈夫なはずです。俊春、俊冬を連れてきなさい。二人で、いいですね?」
なんだ、いまの要所要所にあらわれた奇妙な間は?しかも、鼻の下が伸びまくってる。まるで獲物をおさえつけた肉食獣だ。
ぞっとした。これが、BL系戦慄というのか?いや、そもそもそんな戦慄はあるのか?
おれの怖れ慄きは兎も角、俊春はおねぇにいいように使われているらしい。おねぇの矢継ぎ早にして無茶ぶりな指示に、こくんと素直に頷いて了承した。
「では、頼みます。ほれっ主計、ゆくぞ。そこのかわい男ちゃん、おまえもだ。そのくそ女を連れてこい」
「しかし、副長がーーーー」
心からの叫びも届かず、おれは原田に襟首をつかまれ、部屋からひきずりだされてしまった。
ああ、副長。まさかこんなことになるなんて・・・。
土方歳三、これが男としてみる最期かもしれない・・・。