斎藤一
捕縛された武田は、斬られたのだときかされた。
その翌日には、武田の腰巾着だった加藤羆という、姓は兎も角、きらきらネームにも匹敵するインパクトの強い名をもつ隊士が切腹した。否、させられた。
さらには、武田と懇意にしていた僧が暗殺された。
島原で捕縛したあの店で、武田はその僧に会っていたのだ。
僧が?と驚きを禁じえないのは当然ながら、それを躊躇なく暗殺する副長にも驚いたのはいうまでもない。
武田の件は、これをもって終了した。
隊内では評判がよくなかったこともあり、だれもなにもいうこともなく、その存在すら忘れ去られようとしていた。
今の新撰組は、武田よりも元参謀の伊東率いる御陵衛士との確執のほうが重要なのである。
この日、おれは副長に命じられ、ある男に会った。どこのだれにもほぼその存在をしられていないおれだから、という理由でである。
その男のことも、もちろんしっている。
写真は、つい最近までかれ自身の息子のもの(まるで映画のキャラクターのごとき輪郭が印象的だ)が用いられていたが、すこしまえに本人のものとされる家族写真や、一人で写っているものが公表されたのを、web上でみた。
明治期の写真だが、それをみてつくづくいい男だと思った。
新撰組の幹部として生き残り、会津での戦を潜り抜け、警官になり西南戦争でも活躍したという。
会津の密偵だったともいわれている、謎おおき人物。
新撰組では、組長でありながら数々の暗殺をもこなした剣士・・・。
斎藤一。おれが名をかえたきっかけの男である。
息子の写真や本人の写真、それに伝わる人となりに小説やドラマ、漫画などで描かれる斎藤から、孤高の剣士、凄腕の人斬り、冷酷な暗殺者、のイメージがある。
すくなくとも、そういう先入観に彩られたまま、単身、繋ぎ場所である島原の茶屋に向かった。
斎藤は、すでに茶屋の奥にいた。手酌で酒を呑みながら。
「ほう、右差しとはな」
副長から教えられた通りの符牒を口にしながら、卓をはさんで斎藤の真向かいに腰掛ける。
「ええっ!初対面の相手にそんなことをいうのですか、おれが?」
副長から合言葉をきかされたとき、そう叫んだ。
同時に、小説などで描かれている通り、本当に右差しだったんだと驚く。
それを通しつづけるなど、よほどかわっていて頑固に違いない、とも。
そして、ますます斎藤へのイメージが強くなる。
もはや、怖ろしそうな印象しかない。
斎藤は、こちらへちらりと視線を向けつつ、杯をくいと煽る。それから、にっこり笑う。冷笑や不敵な笑みではない。
それはそれは爽やかな笑みであることが、茶屋内の灯火のなかでよくみえる。
「そうであろう?」
斎藤は、そういってからまた笑う。
それもまた、悪戯がみつかった子どものような笑みである。
内心で驚いてしまう。
「相馬君、ですね?」
斉藤は背筋を正すと、目礼を寄越す。
爽やかな青年、である。たしか、沖田とおなじくらいの年齢のはず。
あの息子の写真とは、あきらかに違う。公表された年老いた写真を、若くして肉付きをよくした感じである。
「きいています。副長の危急を救ってくれたことも。なんでも、狼みたいな犬を連れているそうですね?今宵、その犬は?」
斎藤のイメージが、がらがらと崩れてゆく。
いや、怖そうなという点ではその方がいいのであろう。
が、孤高の剣士や凄腕の人斬り、という格好いいイメージは?
無口、禁欲、頑固。つねに影のように土方を助けた、と小説などでは描かれているのに・・・。
たしかに、腕は立つ。こうして向き合っていても、気の充実や他者を害す者特有のにおいを感じることができる。
だが、この饒舌ぶりはなんだろう?
おかしくなってしまう。実際、笑ってしまった。
「なにかおかしなことを、申しましたか?」
斎藤は照れた笑みを浮かべながら、あらかじめ頼んでおいたのであろう、空いた杯に銚子から酒を注ぎ、おれにすすめてくれる。
「申し訳ありません。おかしなことなどなにもないですよ、斎藤先生。今宵、相棒は置いてきました。先日、この界隈で捕り物があり、相棒をみた者がいますし、なにより相棒は、狼みたいな外見で目立ちますので」
「そうですね、その話もききました。本来ならわたしの仕事です、そういうことは」
その瞬間、斎藤の笑みがかわった。
背筋も凍るとは、このことだ。ぞっとするほどの冷たい笑み。
再認識させられた。
「いまの仕事がおわれば、おそらくかえれるかと。そのときには、是非とも道場で剣の教えを乞いたいものです」
また爽やかな笑みを浮かべると、斎藤はそういう。
とんでもない。プロの人斬りに教えることなどなにもない。
「時間がありませぬ」
斎藤は、表情をあらため副長への言伝を述べはじめる。
それは、御陵衛士である斎藤から、新撰組副長への伝言であった。