裏稼業も公武合体?
「それで本題なんですが、御陵衛士のおねぇ、もとい、伊東甲子太郎をご存知でしょうか?「北辰一刀流」で、江戸で道場を営んでいました」
「はは、わたしをなんと心得ておる、主計?」
俊冬のその答えで、おれは俊冬はおねぇのこともよくわかっているのだとしった。
「江戸で兄上に懸想していた水戸学の剣術家でございます」
「懸想、ですって?」
そう怒鳴ってしまったおれの声は裏返っていた。相棒が薄目を開け、おれをみた。瞳がおれとあうと、ふんと鼻を鳴らしてからまた瞼を閉じた。
「うるさいな、と・・・」
「わかっています、俊春殿」
相棒の気持ちを代弁した俊春をさえぎり、おれは俊春越しに俊冬をみた。
「当時、われらはまだ天皇家、つまり帝の直属のお庭番だった。ああ、先日は話が複雑になるので詳細は省いたが、われらはお庭番兼公儀隠密同心。どちらもまだ罷免されたわけではない。忘れられているのかどうかはしらぬが。兎に角、当時は和宮内親王を護る為江戸に下ったばかりだったが、将軍家からの命も受けねばならなかった。剣術道場は、それこそ政の論争の場であってな。われらは、その道場をまわっては様子をうかがっていたわけだ。伊東道場もその一つだ」
「そもそも、あなた方の生家にそんなすごい役につける力があるとは。将軍家剣術指南役だから、公儀隠密同心のほうはわかりますが・・・」
俊冬は、また小さく笑った。
「これは、いかにおぬしでもしらぬ、歴史には残されていない秘密の出来事だ。われらは、帝を害そうという企みをたまたましり、それを阻止した。まだわれらが元服したばかりの時分のこと。それを帝がおしりになり、あろうことかわれらをお庭番に取り立ててくださったのだ。将軍家もしかり。生家とは何の関係もない。これを・・・」
俊冬が懐を探りだすと、俊春もそれにならった。そして、そこから同時にでてきたのは、豪奢そうな布地に包まれた懐剣だった。
袋からだしてみせてくれたその懐剣は、おなじ刀匠による作なのだろう。瓜二つだ。そして、なにより、懐剣の柄、そして袋に入っている紋・・・。
俊冬のには菊、そして、俊春のには葵・・・。
「どちらも「孫六兼元」の作。ああ、わたしのこいつも同様だ」
俊冬は、四本しかない掌で、刀掛けの一振りを示した。
「関の孫六」といわれる大業物だ。現代では岐阜県関市の刀工で、室町時代より造られているはずだ。戦国時代では、豊臣秀吉や武田信玄、黒田長政、前田利家が所持していたことで有名だ。
そうそう、昭和期には、作家の三島由紀夫が自衛隊の駐屯地に押し入り、そこで割腹自殺をした際の介錯に用いられたといわれている。
現代は、包丁として世界的に有名である。
おれは、刀掛けの太刀よりその二振りの懐剣をみた。
菊と葵、公武合体の象徴・・・。双子もまたその架け橋として、長い間務めつづけたのだ。
双子は、レアすぎる懐剣を懐にしまった。
帝の護衛や諜報活動をおこなうとともに、将軍家をはじめとした幕府の要人の護衛やら諜報活動、それから暗殺まで請け負うのだ。
なんかよくわからないが、兎に角すごいことは確かなのだろう。