極秘計画終了と薩摩揚げ
「土方さん、あんた、ほんとによかったな、ええ?あんな姑息な、もとい、くだらん策を使ってよ。よくもまあ頚動脈を絶たれなかったもんだ」
朝食に向かって凱旋しながら、永倉が囁いた。
「なにいってやがる、新八?おれはなにも剣術をやってんじゃねぇ。ようは勝てりゃいいんだ。その為の策だ。おめぇらみてぇに、お上品にちんたらやってられるかってんだ」
俊冬と並んでまえをあるいていた副長は、あゆみをとめずに顔をわずかにそらせ、そう嘯いた。
うーん、論理っぽいがめちゃめちゃだ。しかも、それでこてんぱんにやられているのだ。説得力もなにもない。
「ききましたよ、弟から。お案じめさるな、永倉殿。弟は、最初からわかっていました。わかっていて勝負にのったのです」
俊冬は、そういって快活に笑った。
副長の眉間の皺の下で、苦笑が浮かんだのはいうまでもない。
全員で何名いたろうか。気絶した連中の介抱を終えた小六と鳶も含め、おれたち全員俊春の屋敷で朝餉を馳走になった。
いったい、どれだけの量を消費したのかは謎だ。怖くて尋ねる気もおこらない。
大人も子どもも、ついでに犬も、それはもうよく喰った。
まるで炊きだしだ。喰うほうも喰うほうだが、つくるのも大変だったに違いない。
双子の腹違いの姉の副長へのサービスは、それはもう半端ない。
「おいおい、だれかさんは口ばっかで指一本うごかしちゃいねぇ。だってのに、まるで一人ですべておさめたって態度と対応だぜ?」
「ああ、双子の爪の垢でも煎じて呑ましゃいい」
「ならば、「石田散薬」だ。あれであろう?」
原田、永倉、斎藤だ。
「なんだと?ありゃ打ち身や擦り傷に効くんじゃなかったか?」
「馬鹿いってんじゃねぇよ、左之。打ち身や擦り傷にも効かねぇんだよ、ありゃ」
「ならば、逆に効くやもしれぬぞ」
「だーかーらー、斎藤っ!」
永倉と原田の突っ込みがかぶったその瞬間、
「新八っ、左之っ、だまって喰いやがれっ!」
副長の一喝が飛ぶ。
たらしのイケメンは、また双子の腹違いの姉との談笑に興じた。
心のこもった朝餉を、腹がはちきれるまで、いや、リアルではなくそんな感覚になるまで堪能したおれたちは、屯所へと戻った。
斎藤は、俊冬が提供してくれたあたらしい隠れ家へゆくのかと思いきや、意外にも俊春の屋敷でいいという。
孤高のイメージの強い斎藤だが、じつは寂しがり屋さんだったということに、おれはまたしても抱いていたイメージを覆された感を抱いた。
怒涛の夜はすぎた。
おれたちは、坂本と中岡を救い、幕末と未来をペテンにかけることに成功した。
そして、ほかにも得たものがあった。それは、たのもしい仲間、である。
翌日、双子の屋敷に伏見にある薩摩藩邸の小者がやってきたそうだ。
ちなみに、薩摩藩は京に藩邸を三つもっていた。そのうちの一つが、現代では伏見の東堺町にある伏見藩邸である。現代では、某酒造がそこにある。
「お見舞い」の品を届けてきたそうだ。「縁のある方々へも」、との伝言とともに。
さっそく、双子と松吉が屯所へ届けてくれた。
それは、大量のてんぷらだった。正確には「薩摩揚げ」だ。関西ではてんぷらというが、届けられたのは本物の「薩摩揚げ」だった。
たしか、「薩摩揚げ」は島津斉彬が考案したものだったはずだ。いまからそう遠くない過去の話だ。
おそらく、藩邸の料理人たちが総出でつくったのだろう。
この時分に、これほどの量をつくるだけの材料を一夜で集められるだろうか。
すくなくとも、中村個人ではできないはずだ。
西郷隆盛、あるいは家老の小松帯刀、にしられてしまったのか・・・。いや、まさか副長や坂本を狙った大久保に?まあ、それはないか。あるとすれば、毒入り「薩摩揚げ」かもしれない。
ああ、個人的に大久保が嫌いなわけではない。かれも不運だ。いま、ではなく将来で。
西南戦争で、かれは幼馴染である西郷と敵対した。つまり、故郷そのものを敵にした。ゆえに、その後に暗殺されるが、結局、故郷の土を踏むことはなかった。それどころか、没後150年近く経った未来でも西郷のほうが人気がある。
かさねていうが、おれはかれを嫌いでない。そう、公私ともにお近づきになりたくない、といったとこだろうか・・・。
大久保談義は兎も角、これは後でしったことだが、俊春が鳶に伝言を託していたようだ。
「縁があったらまた遣り合おう」、と・・・。
これで薩摩と新撰組が仲良くなるというわけではない。非公認、非公式の出来事なのだ。
が、中村、そして、もしかすると西郷、小松の采配かもしれないその心意気は、理解できたような気がした。