名乗り
「わたしは、薩摩でおぬしに縁のある者を殺めたか、「人斬り半次郎」?肥後ではどうだ、河上?」
それは、俊春の問いだ。この期におよんでそんな問いを投げかけられ、人斬り二人は構えをわずかにといた。
「よかや。それどころか、あたは西郷どんの敵をことごとっ斃してくれたとじゃ。そんお蔭で、西郷どんはいまがあっと。いったはずじゃ。まさか、せごどんがあたを殺そうとしちょっとでも思うちょっとな?こんた、せごどんとも藩とも幕府とも関係はあいもはん。おいがあたと勝負をしよごたっただけじゃ」
中村は、蜻蛉の構えのまま柄頭の向こうでそう答えた。その隣、低い姿勢の河上は、ただ両肩をすくめただけだ。
「おれは殺したくてたまらんってわけだ。それから、坂本のやつも」
またしても副長の呟きだ。それは、呟きにしてはあまりにもおおきすぎた。
それに反応し、中村がこちらを向いた。
「ちがうっ!きさまらを始末しようとしたんな、せごどんじゃらせん。せごどんな、暗殺などちゅうきたなかことは好みもはん」
中村は、そう叫んでしまってから不意に口を閉じた。唇を噛み締めている。つい口をすべらせてしまったことを自覚しての行為だろう。
すくなくとも、副長や坂本を暗殺しようとしたのは西郷の采配ではない・・・。
もっとも、それがわかったとしても薩摩が関与していることにかわりはない。指揮系統の違いだけなのだ。
「狂い犬、名を教えたもんせ」
中村は、自身の失言をなかったことにするかのように話をかえた。というよりかは本題に戻した。
俊春はそれに応じなかった。いや、応じられないのか。本名を語るには、生家に影響を及ぼすかもしれない。とはいえ、町奉行所での名を語るにも幕府と薩摩の関係に影響を及ぼしかねない。
「案ずっな。どげん名であろうと他言はせん。否、できもはん。ただ、勝負すっ相手ん名を知ろごたっだけじゃ」
俊春が息を小さく呑んだのが感じられた。
「柳生、柳生俊春。柳生新陰流、柳生俊春・・・」
そして、意を決したように告げた。
柳生の名に、つぎは中村と河上が息を呑んだ。
なんらかの事情を、かれらなりに察したのだろう。
「強かはずばい。くそっ!柳生んまことん兵法家と・・・」
河上が独りごち、同時に地面に唾を吐いた。
剣士といわず兵法家と・・・。
たしかに、戦国末期から江戸初期にかけ、おおくの剣士が兵法家と自称した。
戦の絶えぬ時分だ。自分を売り込むのに剣士というのにはパンチ力がなさ過ぎる。道場剣術がイコール戦場での活躍にはならないからだ。だが、兵法家だときこえがいい。
柳生新陰流の宗祖石周斎もそう売り込んだ一人である。もっとも、かれの場合は、自分より息子を徳川家康に売り込んだ。そのお蔭で、息子の宗矩は将軍家剣術指南役となり、柳生新陰流という剣術の一流派としてのみならず、柳生家を磐石なものとした。
「柳生、礼をいう。こいで心置きなっ戦ゆっ!」
中村の咆哮だ。同時に、「兼定」の切っ先があらためて天を突いた。河上の「同田貫」もさらに地を這う。
俊春は、例のごとく両腕を脇にたらしたままである。だが、気は違った。厳密には、いつもならなにも感じられないのに、いまは気を感じる。
それは、これまでなにものからも感じらられなかったような、すさまじいまでの殺気であった。