「兼定」対「同田貫」
河上の小柄な体躯がさらに沈んだ。おそらく、逆袈裟斬りをするのだ。かれのウイキペディアには、片膝が地面に着くほどの低い姿勢からの逆袈裟斬りを得意としている、とあった。河上は、我流らしいが、一説では熊本藩で盛んな伯耆流居合いが逆袈裟斬りが多い点から、伯耆流ではないかともいわれている。
相手が背を向けていようと、それは意に介さないらしい。小柄な体が気配も音もなく動いた。猫科の動物のような動きだ。こうして、かれは獲物を狩るのだろう。もっとも、この場合の狩るという意味は、相手を斬り殺すことである。
「・・・」
神速で間合いを詰めることができたはずだ。先日、永倉に斬られた腕やら腹部の傷のハンデを差し引いても、河上の動きは速いにきまっている。
だが、それ以上に速かった。
俊春の左腕が河上の肩にまわされ、二人は肩を組み合っていた。俊春の三本しかない左掌は、河上の「同田貫」の柄を握っている。河上の拳と拳の間、柄の真ん中辺りを、だ。
俊春は後ろへひとっ跳びし、河上の動きを封じたばかりか、河上自身の体と得物を奪ったのだ。
そして、いま一人、中村もまた速かった。
10m以上ある距離から瞬時に詰め、示現流の渾身の初太刀をすでに放っていた。
河上が叫びにならぬ叫びをあげた。このままだと、まともに喰らうのが自分だからだ。
「うわっ!」
みっともなく叫んでしまったのは、なにもおれだけではない。
だれもが大なり小なり、驚きの叫び声をあげていた。
中村の渾身の初太刀を、「同田貫」ががっしり受け止めたからだ。
「ひー」一番みっともない叫びを上げたのが、その得物の持ち主だ。自分の意思に関係なく、すさまじい一撃を受け止めさせられている河上。もはや自分の得物ごと俊春に操られている。
俊春は、それを左の腕一本でおこなっていた。「兼定」と「同田貫」が激突した瞬間、自分はもちろんのこと、左腕を河上ごと下方に下げ、衝撃を殺した。
さらに、得物から力を抜きながら河上ごと体を開いた。威力を殺がれた「兼定」がわずかにひかれた刹那、「同田貫」が下方からそのまま逆袈裟に斬り上げた。が、さすがは中村だ。威力を殺がれた瞬間に後方へ飛んだため、逆袈裟は中村の着物すれすれで空を斬った。
これらも瞬きくらいの間に行われているのはいうまでもない。それこそ、瞬きすればみることができないだろう。
そして、以前のおれだったら、瞬きするしないに関係なく、みることができなかったはずだ。
「はなしなっせ、はなしなっせ」
自身の得物の柄の中央部分を握られたまま、河上は身をよじって俊春の両腕から逃れようともがいている。
河上はかなり小柄だ。この時代の平均男性よりも。ゆえに、女性っぽいと評されている。が、俊春もまた小兵だ。それがいとも簡単に河上を振り回している。「テディOア」を振り回しているような気軽さで。
俊春は、不意に左腕を軽く振った、すると、河上が吹っ飛んでいった。中村のほうへだ。中村は、受け止めてやるどころか、すいと身をひき、それをかわした。
絶対にわざとだ。わざと受け止めなかったに違いない。
「あた、わざとよけたやろう」
河上も気がついたらしい。抗議した。が、中村は斜視気味の瞳を俊春に向けたままスルーしている。
河上はクレームをいいつつ、小さな体躯を沈めて逆袈裟をしかける準備を整えた。意外にもその表情はさっぱりしている。いつもの陰湿な気も感じられない。
そして、中村もまたその表情はあかるい。口許に浮かんだかすかな笑み・・・。同時に、「兼定」の切っ先がゆっくり天へとのぼってゆく。
「みてみやがれ、あそこにも剣術馬鹿がいるじゃねぇか、ええ?」
副長のなかば呆れ返ったような、それでいて愉しそうな呟きに、新選組の剣術馬鹿たちがその顔に苦笑を浮かべた。
おれもくすっと笑ってしまった。
ふと相棒をみおろすと、いつもの定位置でお座りし、対峙する剣士たちをじっとみつめている。尻尾が右に左にゆっくり土を掃いている。
相棒もうれしいのだ。なにゆえかはわからないが。