薩摩隼人の想い
「「村正」を抜かせるな、と忠告したはずだな、「人斬り半次郎」?」
俊春は、立ち上がりながら三本しかない掌で「村正」の柄を愛撫した。
「強か者と遣り合おごたっ、て思うてなにが悪かとな?おいも危なか橋を渡っちょっ。こんこっがばれれば、おいも譴責どころん騒ぎじゃなかやろう」
斜視気味の瞳できっと睨みつけ、中村はいい返した。
驚いた。かれ自身は、副長暗殺の件からはずされ、そのことについては完全に業務委託されたのだ。河上玄斎らに。おそらく、先日の副長の別宅襲撃失敗が響いているのだ。
それでもかれは、ただ純粋に剣で戦いたいと切望している。
「童どもたちんこっは申し訳なかった。こん馬鹿がしでかしたこと。だが、いっせ手はださせちょらん」
中村の言葉に、河上はなにかをいいかけてやめた。もはやどうでもいいのだろう。
それはそうだ。手下ども全員、気を失っている。これを切り抜けることはもはや難しい。中村と協力し、俊春を、さらにはおれたち全員を、どうにかしなければならぬのだ。
「子らのことは承知している。薩摩隼人は、いったことは必ずやり遂げるということも・・・」
「じゃとしたや、おいどんがおめとかならずや勝負をすっ、ちゅうこっもわかっちょっやろう」
俊春の視線が中村からこちらへ向けられた。一瞬のことである。厳密には、双子の兄にそれは向けられた。
おれの傍で、その双子の兄がかすかに頷いた気配を感じた。
許可を得たのだ。
そして、それは得られた。
俊春が中村と会話している間に、いつの間にか河上が俊春の背後へとまわっていた。
それに気が付いた市村は、松吉をかばいながら慌てて後ずさりし、邪魔にならぬよう離れた。
サイコパスっぽくても、河上もまた凄腕の剣士であることにかわりはない。
俊春の背後にひっそりと佇立し、得物を地の構え、つまり下段に構えている。
質素な得物だ。左腰の鞘もなんの拵えもない。これはなにも河上が貧乏だからとか、こだわりがないから、というわけではない。
「肥後国同田貫宗廣 」、河上の愛刀だと記憶している。もちろん、「逆刃刀」ではない。あれはあくまでも創作だ。
「同田貫」は、実用性のある刀である。加藤清正が愛用したほどのものであることから、よほど実戦向きなのだろう。ゆえに装飾、観賞用としての価値はほとんどないらしい。
相手を斬ることだけを考えれば、じつに最適な得物といえるだろう。
そして、中村は上段、示現流のとんぼの構えに・・・。
「二大人斬り」たちから、同時に気配がきえた。
おれたちは、文字通り固唾を呑み、これから起こることを一瞬たりともみ逃さない勢いでみつめた。
俊春は、背後をとられるのを意に介していない、あるいは気が付いていないかのように、眼前の中村に視線を向けたままだ。
そして、いまだ「村正」が抜かれることはない。
おれは、俊春の屋敷で「村正」を抜いたときに味わった怖気を思いだした。
あのとき、俊春は自分の家にまつわる不幸にからめ、呪われているといったが、それは公儀隠密であることを秘する為の偽の話であった。
が、あの恐怖心は本物だった。
だとすれば、あれはいったい・・・。
「「村正」自身の妖気ではなく、弟自身の気、兇気です」
不意に、俊冬が囁いた。
「おれの考えていることが?」
おれは、囁かれた内容にではなく、考えていたことをいいあてられたことに驚いてしまった。
おれが俊冬をみると、俊冬もまたおれをみていた。
その瞳の濃さはぞっとするほどだ。おれはそこに、副長とは違う意味での違和感を抱いた。
「そのような気がしただけです」
しばしの後、俊冬は両肩をすくめながらいった。それから、視線を弟へと向けた。
おれは、その俊冬の横顔をみつつ、まだなにかを隠している、となにゆえか直感した。なにがどう、というわけではない。だが、どうしてか胸が騒いだ。なにか重要なことをみ落としているのか、あるいは気がつけていないのか、そんな焦燥感にさいなまれた。