ゆけっ! 誠の剣士
「なんばしよるんばい。いまばい、斬りなっせ!」
心に沁みる格言っぽいものも、河上にはどうでもいいことなのだろう。俊春の背のすぐちかくでぼーっと立っている男に指示した。
怒鳴られた男は、はっとわれに返ったようだ。反射的に動いた。上段からの一撃を放ったのだ。
「父上!」
驚いたのは松吉だ。俊春の背に迫った白刃を瞳をみひらいてみつめている。
「・・・」
またしても妙技をみせつけられた。
俊春は、背後を振り返ることなく、頭上に迫りくる兇刃を掴んで防いだのだ。素手で、である。それは、「近江屋」で佐々木の小太刀を掴んだのとおなじ業であった。後ろ掌に掴まれた太刀・・・。あのときとは威力も刃そのものの威力も格段に違うというのに・・・。しかも、それをいっさいみることなく・・・。
指が三本しかない掌は、頭上に迫った太刀の峰側から握られている。
「息子にみせるのは、同心としての務めじゃねぇ。剣士としての精神だ。そうじゃねぇのか、ええ?新撰組の餓鬼どももよーっくみときやがれ!これが誠の剣士の戦い方だ」
副長だ。その叫びに俊春の華奢な肩がわずかに動いた。
同心・・・。それは町奉行所のしがない同心の意味ではない。あまたの殺しや探りをおこなってきた公儀隠密同心の意味であることはいうまでもない。
「すまない、松吉。おまえやほかの子たちに怖ろしいものをみせたくなかったのだ。だが、わたしはおまえたちを護りたい。いまから起こることを、その瞳に焼き付け忘れるな。父を許すな。蔑め。そして、けっして同じ道を歩むな・・・」
「父上・・・」
市村がまた松吉に寄り添ったのをみ届けると、俊春は左手首を軽くひねった。
「がふっ!」その瞬間、得物を掴まれ、おしてもひいてもどうしようもなく、焦燥に苛まれていたであろう男が、いとも簡単に地面に叩きつけられた。
男が地面に叩きつけられたのと、ほかの男たちもまた地面に倒れたのがほぼ同時であった。
倒れているだれ一人として微動だにしない。うめき声すら・・・。死んでいるのかと思ったが、血の一滴もみ受けられない。
体術の業でもって、頚動脈でも絶ったのだろうか。
倒れた男たちの中央で、俊春は地に片膝ついた姿勢で両瞳を閉じていた。その左側の掌には、先ほどの刀がまだ握られたままだ。ただし、先ほどは切っ先ちかくを掴んでいたのが、いまは柄を握っている。しかも、握った刀は刃が上を、峰が下を向いている。
逆刃・・・。男たちは、峰打ちによって気絶しているということだ。
ゆっくりと瞼を開けるさまは、自分の気持ちを落ち着かせる為のまじないのようだ。
かっこよすぎだ。どんな時代劇俳優、いや、時代劇以外の俳優でも、これほどクールに、これほど静かに、男を演じられるわけはない。
掌に握る得物は、そっと地面に置いた、これもまたあらぬ方向にぱっと放り投げるのではない。刀に対しての敬意すら感じる。
「狂うた犬じゃしか?狂い犬、とはようぜったもんじゃなあ」
中村が不意に叫んだ。歓喜のなかにも、どこか緊張をもはらんでいる。
「なんやと?狂い犬?あん噂ん?くそっ!わたしばかついだんやなあ、中村しゃん?」
そして、つづいて叫んだ河上の声音には、驚愕という二文字が刻印されていた。
「ふんっ!けしもごたなかんやったら、けしんかぎぃに戦うとじゃなあ」
「覚えときなっせ、中村しゃん?必ずや、あたばぎゃふんといわせてあぐる」
「生き残れたやん話やなあ?おもしてか、ぜひ、そうしてもらおごたっねえ」
うちわもめをはじめた九州勢。その方言についてゆけるわけもない。
だが、こういうシチュエーションでは、共通の強敵を兎にも角にもがんばって一緒に倒しましょう、と結論にいたるまでの罵り合いだったに違いない。
そう、いまやすべての部下をうしなった二人には、そうするしか選択肢はないのだ。