「犬のきもち」と犬並みの鼻
無言で歩をすすめつつ、俊春が宙を嗅いでいるのに気がついた。
かれの双子の兄もそれに気がついたようで、弟に目顔でどうしたのか尋ねている。
双子は、義理の母か異母姉が縫ったであろう着物に袴姿である。俊春は、同心姿でくるわけにはいかなかったであろうから。
いっぽう、元極道だと思い込んでいた双子の兄の俊冬は、着物と袴姿になるとかなり立派にみえる。一万石の藩主であってもおかしくないほどの貫禄がある。そして、将軍家剣術指南役としても。もちろん、貫禄だけではない。人格、胆力、技量、頭脳。どれをとっても申し分ないはず。
弟が正当な座につけたい、と兇刃をふるいつづける気持ちがよくわかる。
「硝煙の臭いが致します・・・」
俊春が、告げる。
なんと、相棒の鼻よりすごい。まるで麻薬探知犬や爆発物探知犬である。驚いてかれをみると、かれもおれをみる。
「犬といっしょにすごし育ったゆえ、犬の気持ちがわかるというもの。耳鼻も同様」
犬と一緒にすごして育ったとはいえ、それで鼻が犬並みにきくようになるものなのか?耳にしてもそうである。副長の別宅で、気配を察したばかりか薩摩隼人たちだと断定した。それはてっきり、武芸の達人だから気配をよめるのかと思っていたが、それもまた犬と一緒にすごして育ったから、ということなのか・・・。
そういえば、かれらの屋敷で相棒が水を欲している、と俊冬がいっていたのを思いだした。俊春だけでなく、俊冬も犬の気持ちがわかっているということか。
基本的には、警察犬はハンドラーの命じることにしか従わない。その相棒がかれらのいうことに従ったり、寄り添ったりするのは、通常ならありえないことなのである。
かれらが犬のことをわかるだけでなく、犬にもかれらのことがわかっている。これは、非常に興味深い現象である。
そして、その一方で、犬猫以下の扱いを受けた・・・。俊冬のいった言葉は、文字通りの意味だったのだと思うと、悲しみよりも怒りを感じてしまう。
「待ち構えてやがる」
副長の苦々しげな言葉で、前方に瞳をこらす。
崩れかかったお堂のまえで、数名の浪人が立ってこちらをみている。
そのなかの数人は、先日、往来で遣り合った男たちのようだ。例の原田の鞘がなくなった、あの斬り合いのときの男たちである。
もちろん、その筆頭が「幕末四大人斬り」の一人河上玄斎であることはいうまでもない。
いまは、編笠などかぶっておらず、素顔をさらしている。
その中性的な相貌をじっくりみ、昔よんだ漫画の主人公がかれをモデルにしている、ということをいまさらながら思いだした。そっくりというわけではないが、たしかに雰囲気はそれっぽい。もっとも、漫画のほうは「二度と人は斬らぬ」という想いから、「逆刃刀」なる架空の剣で戦うまっとうな剣士である。
サイコパス的なご本人とは、そういう面では似ても似つかない。
「兄上。二時と十時、木のうしろです」
あゆみを進めつつ、俊春がささやく。
「確認した。いかほど必要か?」
「瞬きの間があれば・・・」
双子は、謎めいたささやきをかわしている。
「副長、われらを信じていただけますか?おのおの方も、われらを信じていただきたい。あゆみをとめたら、いっさい動かぬよう願います」
「信じるってところは、きくまでもなかろう?動かぬところは承知した」
副長もまた、ささやきできり返す。
俊春が、先頭をあゆむ副長の左横にさりげなくつく。足許をみると、草履を脱いで素足になっている。
さきほどの謎めいた会話はいったい・・・。
これから、なにがおこるというのか。