神のみぞ知ることと容易な嗅跡
夜がしらじらと明けつつある。ところどころの民家から炊煙がたちのぼり、共同の井戸端では老若男女が身繕いをしている。
相棒が向かっているのがおれのしるところだと気がついたのは、出発して15分ほど経ってからである。
「人斬り半次郎」は、おれたちをあそこへと誘いだそうとしている。
ある意味、かれと副長、それからおれと相棒に共通した思いでの場所である。
そう、例の神社だ。
途中、小六と鳶といきあった。ちょうどいいタイミングである。
あの後、「近江屋」の主人の注進で駆けつけた土佐藩は、同心たちのおざなりの検死がおわるのももどかしく、なにもいわずに坂本と中岡の遺体を引き取り、戻ったという。
海援隊と陸援隊も駆けつけた。
中岡は、みずからが指導する隊にはいっさいなにも告げなかった。告げたかっただろうが、耐えてくれたのだ。ゆえに、陸奥が吹聴したガセネタを鵜呑みにしたであろう。
「新撰組の姿をみた者がいるらしい。紀州藩もからんでいる」、と。
この嘘っぱちが、後の紀州藩公用人三浦久太郎の襲撃へと繋がるのだ。
ただし、新撰組の隊士二名が殺られる筋合いはない。そこはまた、副長がうまく采配してくれるであろう。
「土佐藩は、信じたであろうか」
林の問いに、小六も鳶も小首を傾げる。正直なところ、わからぬという。藩邸であらためて遺体を検めるだろうが、信じるかどうかは神のみぞしる、というわけだ。
が、二体が偽物だと気がついたとしても、はたして声高にそれを唱えるだろうか?自身らが殺り損なった、と?せいぜい、新たに暗殺者を雇って差し向けるのが関の山だろう。
ただし、その時分には、かれらは日本にはいないはず。
グラバーが準備した船で、世界へと冒険の旅にでているだあろうから。
「しかし、同心の自宅におしかけて、河上はなにをしたかったのでしょう?」
島田が、だれにともなく問う。
たしかにそのとおりである。河上は、副長を暗殺するために雇われているのであろう。なのに、表向きは同心である俊春の自宅に、脅しをかけにゆくとは・・・。下手をすれば、とっ捕まえられることになる。
クライアント側にいる中村が、河上に副長の別宅の件を話したのだろうか。それをきいた河上は、なりふりかまわず、手段を選ばず、おしかけていってどうにかするつもりだったのか・・・。だとすると、最初から目的は、副長ということになる。
しかし、その一方で、中村自身が出張ってきているということも解せない。薩摩が、刺客を差し向けると喧伝しているようなものだ。
「ぞくぞくすう・・・」
副長の別宅で、俊春に気がついたときに中村がいった言葉・・・。それは、剣士として純粋に遣り合えることにたいする、本音だったにちがいない。
ならば、中村の目的は、俊春にあるということになる。
示現流対柳生新陰流。いや、「人斬り半次郎」対「狂い犬」の戦い・・・。
みてみたいと、不謹慎にも願ってしまう。なので、自分自身を叱りつけねばならなかった。
今回は、相棒にとってさほど難しい追跡ではない。松吉は幾度も遊んだ子だし、その母親の機転のお陰で、すぐに追うことを開始できた。さらには、対象までの間にほとんどなにもない。
こういった幸運が重なり、嗅跡を開始してから15分程度で、対象の居場所をほぼ断定できたわけである。
そして、神社の朽ちかけた鳥居のまえで相棒が伏せたことで、それが確信へとかわる。
全員が副長をみる。指示をまっている。
「人数を伏せているかもしれん。島田と吉村、小六は右側を、山崎と林、鳶は左側を、それぞれ探ってくれ。何者かが隠れていたら、処置は任せる。ただし、無茶はするな。それと、小六と鳶。すまねぇが、いつもどおりなんかあったら、屯所と番所にはしってくれ」
「承知」
「お任せを」
その指示に、二通りの返事が。
小六と鳶の目明しコンビも、すべてを心得てくれている。
「よし、正攻法だ。正々堂々、真正面からいってやる」
さらなる指示は、残るおれたちに向けてのものである。
が、だれもすぐには反応しない。相棒ですら、伏せたまま胡散臭そうに副長をみ上げている。
「あー。なんだ、土方さん。あんたのいう正々堂々ってのが、一番胡散臭いぞ」
「ああ、それに面倒臭そうだ」
いまのはもちろん、永倉と原田である。
「正々堂々。いいですね、それ」
そして、明るくなってきた空の下、さわやかな笑みで副長に追従する斎藤。
「その言の葉が、この日の本で一番似合わねぇ男と、二番目に似合わねぇ男からいっときにきくとわな」
永倉はそういうと、快活に笑う。もちろん、ちいさく。おれたちもつられてひかえめに笑う。
緊張が緩和される。
「いってやがれ。てめぇらの給金がさらに下がるだけだ」
副長のイケメンに、苦笑がひろがる。
「ゆくぞ」
おれたちは、危地となるべき場所へと向かう。