「長い夜」からのー 仰天ニュース
ながい夜はおわった。
夜は、しらじらと明けつつある。
どこかで物音がしたような気がする。
と、思うまもなく、廊下に松吉の母親があらわれた。柳生新陰流免許皆伝の女剣士である。
いまさらであるが、松吉の屋敷で松茸をご馳走になったときも、気配がまったく感じられなかったことを思いだす。
松吉の母親は、冷静な様子にみえる。とくに副長の相貌で視線をとめる時間がながかったようであるが、きちんとわれわれをみまわしてから叩頭し、それから口をひらく。
その内容は、われわれを仰天させるに充分な威力を備えていた。
「わたしが参ります。姉上、預けてある得物を」
俊冬は、そういいながら立ち上がる。
「まて、おれたちもゆく」
「おうっ!そうこなくっちゃな、土方さん」
永倉は、副長の肩を分厚い掌で叩く。興奮しまくっている。そのうしろで、斎藤も爽やかな笑みを浮かべている。が、その瞳は真剣な光をおびている。
「おまちください。目当てはわたしです。わたしが参ります」
「最初はそうだったろうよ、俊春。が、いまじゃ、おめぇからおれにかわっちまってる・・・。くそっ、おれが餓鬼どもを厄介払いしたせいで、松吉まで巻き込むことになっちまったとはな・・・」
めずらしく、副長は苦りきった表情になっている。
ほんの三十分ほどまえ、俊春、もとい中村家に、数名の武士が訪ねてきた。
当初の目当ては、中村だったのであろう。
松吉の母親、つまり、表立っては中村の細君が応対にで、「夫は他出したまま戻っていない」と告げた。すると、武士たちは戻ってくるまでまたせてもらう、と騒ぎだした。
そこへ、子どもらが起きてきた。おそらく、市村あたりが兄貴風をふかし、松吉に剣術でも教えてやるとでもいったのだろう。そして、騒ぐ武士たちに、新撰組風をふかしたにちがいない。
武士たちのターゲットは、その時点でそれた。いや、二兎を追うことにした。
いっしょにこいと、子どもらを脅した。そして、殴ろうと拳をふりかざした。そのとき、松吉がいったという。「おとなしくついてゆきますから、狼藉はおやめください」、と。そして、連れていかれた。
「異常な気を発し、右腕が不自由な女子のような顔立ちの武士が、「旦那と土方様にまっている」と伝えろと。それから、一緒にいた薩摩武士がこっそり、「こんよなこっになって申し訳あいもはん。犬を使えばわかぁはずござんで。絶対に子どもらに危害は加えぬこっぉ約束しもんで」と。その薩摩武士は、なんの気も発さぬかなりの手錬れと見受けしました。おそらく、弟から噂をきいていた人斬りかと思われます」
松吉の母親がいう。その洞察力はさることながら、薩摩弁をしっかりと覚えているあたり、彼女の聡明さがよくわかる。
「皆様方、弟たちのせいで子どもたちに怖い思いをさせてしまい、ただただお詫び申し上げます」
冷たい廊下で叩頭する双子の異母姉。かのじょは、頭を上げて双子を睨みつける。
「俊冬、あなたの得物はこれに。二人とも、わかっていますね?松吉は、わたくしの子です。あなたたちの務めの道具ではありませぬ。新撰組の子どもたちも同様です。郷里で息子のことを案じていらっしゃる親御様がいらっしゃいます。そのだれをも悲しませてはなりませぬ。それは、武士や剣士の矜持や強さとは関係ありませぬ。そのようなくだらぬものの為に、生命と情を傷つけ絶やすことは許しませぬ」
かのじょのいったことは、双子だけではない。おれたちをもはっとさせた。永倉も斎藤も、副長までもが視線を畳に向けている。
母親という以前に、それが人間としての当然の想い、であることはいうまでもない。
「俊冬、俊春。あなた方は、母はちがえど大切な弟。柳生は無論のこと、日の本であなた方兄弟に勝てる者は皆無と承知していますが、ゆめ油断なきよう。これは、母からの言伝でもあります。わが子らに、ご武運を、と」
彼女の瞳から、涙が落ちる。
双子は、無言のまま頭を下げる。
「新撰組の皆様方にも、母がご武運をと。朝餉をたんと準備しておくとも申しております」
「なに?よしっ!それなら話はべつだ。なぁ新八、さっさといって子どもらを取り戻してこようぜ。ついでに、おいたをする連中をこらしめてやろう」
原田の脳内で、人質は朝餉のつぎにランクされた。
「ああ、朝餉のまえの鍛錬だ」
そして、それにのる永倉。
さすがは、ムードメーカーの二人。といって、いいのであろうか?
「相馬様、これを。松吉の寝間着でございます」
松吉の母親はさすがである。ちゃんとにおいのついているものをもってきてくれている。
礼をいってから、「かならずや、松吉も新撰組の子どもらも、無事に連れ戻します」と約束する。
「応援は頼めねぇ。わかってるな、おめぇら」
「まっこと、猛者ばかりがいてよかったぜよ・・・ね?」
副長がしめたところで、原田が槍遣いらしく横槍を入れる。しかも、坂本の真似で。そして、刹那以下の間に副長から拳固を喰らった
そして、相棒とおれは嗅跡を開始した。