壮絶ストーリー
「弟は、われらの祖父と父が、ある藩主の生命を狙った者どもと斬りあい絶命した、と申したはずです。申し訳ござらぬ。それはでたらめでござる。が、ことの発端はそれにちかいものです」
俊冬は、そう詫びた。
「かなり昔に起こった出来事です。安政の大獄よりずっと以前に。藩主というのも、井伊大老のことではありませぬ。べつの藩の藩主です」
そう前置きし、一呼吸おいてから言を紡ぐ。
「ゆきあったのは、われらが父と数名の高弟たちです。まだ童だったわれらは、こっそり脱けだし町の道場をのぞきにいっておりました。そのかえりのことです。悲鳴をききつけ、それへと駆けつけました。そこで、われらはその藩主が二十名以上の武士にとり囲まれておるのをみたのです。父や高弟たちは、その藩主に助太刀するどころか、刀すら抜けず震えておりました。無論、それを目の当たりにしたわたしも同様に震え、その場から一歩も動けませんでした。が、弟はちがった。父に駆けよるとその腰から「村正」を抜き放ちました。それから一人、襲撃者たちに向かっていったのです。そう、「村正」は、もともと父の佩刀だったのです。徳川家禁忌の業物を、剣術指南役である父が帯びるなどということからも、父の特異さがおわかりいただけるでしょう」
だれかが唾を呑みこむ。その音がいやになまなましく、室内に響く。
「わたしなど、松の木のうしろで立ちすくんだままです。よく腰を抜かさなかった、といまだに思うことがあります」
苦笑が、傷のある相貌に浮かぶ。
「気がついたときには、そこに立っているのはその藩主とわれらの父と高弟たち、そして、弟だけでした。弟は返り血で体躯を朱に染め、「村正」をふるいつづけていたのです・・・。それは、鬼神というにふさわしき所業でした。しかも、「村正」は襲撃者全員の体躯の一部を跳ね飛ばしていました。そのおおくが頸であることは、いうまでもありませぬ」
「なんてこった・・・」
永倉だけではない。全員が衝撃を受けた。
「父は、弟を怖れました。その怖れ方は尋常ではなく、殺そうとしたほどです」
俊冬は、瞳を火鉢のなかの灰へと落とす。
「双子ということが、父を思いとどめたようです。双子の片割れを害すれば、自身に災いがふりかかる。呪われる、と。そして、その数年後、ふたたびおなじ場所で、おなじ藩主が暗殺されました。皮肉にも、そのときもちかくに居合わせたのです。われらは、荷物持ちをしておりました。襲撃者は、三十名ちかく。父は、やり過ごそうとしました。その藩主の家臣や小者たちを、み捨てようとしたのです。助けを求める叫びや悲鳴を背に・・・。そのとき、またしても弟が父の「村正」を奪って駆けだしました。無論、このときには、わたしも弟ともに戦いました。高弟の刀を奪って、です。情けない話ですが、最初のときほどではなかったにしろ、わたしはうまくなかった。数名に深手を負わせた程度です。弟はちがった。そのときも、血煙のなか舞っておりました。しかも泣きながら、です。すべてがあっという間です。あっという間に、幾人もの襲撃者が頸を跳ね飛ばされたのです。その時分には、人が集まりかけていた。父は発覚をおそれ、われらをとりおさえてその場より逃げ去りました。その藩主が暗殺されたことは事実です。その後、その藩は、護衛に失敗したとして重症者も含め、おおくの者たちが処分されました。だが、真実はちがう。弟をみたからです。童が、まるで悪鬼のごとく暴れたことを、それが柳生の血筋の者であるということを、みてしまったからです。父は手をまわし、その藩主の生き残った家臣や小者たちを始末したのです」
俊冬の話はまだつづく。
「襲撃のあった夜、父はわたしの左の小指を斬り落とし、弟の左腕を斬り落とそうとしました。が、失敗し、腕を裂き、小指と薬指を落としました。以降、われらは二度と、父に会うことはかないませんでした」
壮絶すぎるストーリーである。おれたちはいずれも、畳に視線を落とし、言葉もなく、訪れた静寂に身をゆだねている。
「父から完全に見放されたのが、逆によかったのやもしれませぬ。義母の配慮で、われらは柳生家の先代からの重臣である高弟の家に引き取ってもらいました。そして、あいかわらず道場の稽古をこっそりのぞき、みようみまねで鍛錬いたしました。皆伝は、父が隠居させられてから授けられました」
「ここかここが、おかしいのか?」
副長は、指先でまず頭を、それから胸のあたりをとんとんと叩く。
人権的にどうかという微妙な問いを、臆面もなく投げかけるところは、さすがである。
それは兎も角、心因性、あるいは外因性によるものか・・・。
まず、精神疾患を疑ってしまう。が、これまで、そういう徴候はいっさい感じられない。さらには、河上や大石といった殺人狂特有のサイコパス的な要素のかけらも見受けられない。
「わかりませぬ。役目がら、暗殺や殺し合いというのはすくなくありません。弟が狂い犬と呼ばれているのは、あくまでもその手腕です。あのときのようなことは、どれだけの人数をまえにしても、みたことも感じたこともありませぬ」
俊冬は、一息ついてからつづける。
「弟は、自身を怖れています。またああなってしまうのではないか、と。ゆえに、いつも「村正」を抜かせるなと警告するのです。噂が先行しているので、ほとんどの相手が怖れをなすことがわかっておりますので」
心理学的に、なんらかの定義づけはできるのであろうか。
血煙のなか、泣きながら刃をふるっていた・・・。ぞっとするなかにも、どこか物悲しいものが感じられる。
「ですが、これだけは申せます。弟は、日の本一の剣士です。わたしの自慢の弟です」
そういいきる俊冬の瞳は、淡い灯火のなかでもきらきらと輝き、背筋を伸ばした態度はじつに堂々としている。それは、弟のことを心底誇りに思うあらわれであることはいうまでもない。
その弟が相棒を連れて戻ってきた。掌に、取っ手を手拭で巻いた鉄瓶を下げている。
その注口から立つ蒸気が、やけに揺れているようにみえる。
兄弟とは、そのようなものなのだろうか・・・。
おれは一人っ子だからよくわからないが。
日ごろから、たがいの気持ちや想いをあらわしたり伝えたり、といったことはないだろう。
まぁ怒ったり文句をいったり、はあるかもしれないが・・・。