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ミラクルと柳生

 それがきっかけとなった。


 佐々木と桂、いま一人のなにがしが動く。


 佐々木も、いまは太刀を抜き放っている。平正眼からの強烈な突き。桂はいったん刃をひき、あらためて突きを放つ。某も、地の構えから左上方への斬り上げである。


 おれもふくめただれもが動けない。もちろん、刹那の出来事に、体どころか脳が反応していないのである。


 だが、中村はちがう。左の掌で今井の頸を握ったまま、右の掌に握った刃を閃かせる・・・。いや、厳密にはそうなのであろう。

 一瞬、白刃の軌跡がみえたような気がする。


 もう驚かされるのはごめんである。そう思いつつも、奇跡を目の当たりにしたい、と切に願っているのも事実。


 中村は、いっせいに仕掛けられた三本の兇刃を見事に防いだ。


 襲った側の太刀は、いずれも玄関の冷たい土のうえに静かに横たわっている。


 強弱高低はあるが、三つの呻き声が冷えきった空間を這い、蹲っている。

 体と精神こころにまとわりつく冷気は、気温による冷えものではない。人間離れした業をみせつけられたことによる、独特の怖気おぞけであろう。


 襲った側は、三人とも左手首を右掌でおさえてうめいている。


 中村は、防いだだけではない。折れた刃で、三人の左掌をうったのだ。斬ったのではない。なぜなら、だれも血を流していないからである。


「頼むから、もうやめてくれ。わたしに「村正こいつ」を抜かせないでくれ。一度ひとたびはなたれれば、「村正こいつ」は血をみるまで暴れつづける・・・」


 いまだ今井の頸を指先でつかんだまま、中村が呟くようにいう。その苦しげなまでの呟きは、副長の別宅で「人斬り半次郎」にいったのとおなじ内容である。


 今井はまだ生きている。さきほどよりかは状態が落ち着いていることをみると、いまは中村の三本の指に力がこもっていないからであろう。


「狂い犬が・・・。なにゆえここにおる?隠密が、ここになんの用だ?手下てか?なんのことかさっぱりわからぬ。われわれは、命じられただけだ。隠密にとやかくいわれる筋合いは・・・」


 うたれた手首の痛みに耐えながら、佐々木が喚く。そして、中途ではたと口を閉じる。自身でいいすぎたことに気がついたにちがいない。


 隠密・・・?


 佐々木の言葉に、衝撃がはしる。同時に、中村からおれ自身とおなじにおいを感じたことを思いだした。


「坂本と中岡は死んだ。貴公のいうめいは、正式なものではない。われらはありのままを報告する。おそらく、お咎めはなかろう。揉み消されるからだ。だが、今宵以降、背には十二分に注意しろ。つねに、だ」


 おれのすぐななめうしろから、そんな忠告がきこえてきた。飛び上がらんばかりに驚いてしまったのは、いうまでもない。


 灯りの届かぬ位置に立っていた仙助である。

 かれが、灯火のなかに素顔をさらす。


「仙助さん?」

「柳生っ!」


 佐々木とおれの叫びがかぶる。


 またしても柳生?仙助が柳生新陰流の遣い手だということをしったばかりである。それがまた柳生、と?それとも、柳生新陰流では、そこそこの腕前の者を、すべて柳生よばわりするのであろうか・・・。


「佐々木殿。われらの存在をちらりとでもしっておるのなら、われらがいかなることでもしてのけることもしっておろう?貴公の手下てかが、われらの手下てかを殺った。坂本、中岡を殺ったことの重大さとなんらかわらぬ。こやつは・・・」


 仙助が、ゆっくり歩をすすめる。頬に傷のはしった相貌かおを、いまだ今井の頸をつかんだまま、地に片膝立てている中村へと向ける。


「狂い犬・・・。そう。狂った犬のごとく、生ある者を喰らい尽くす。いったん解きはなつと、こやつをおさえることはだれにもできぬ・・・。「村正」とこやつは、生者がいなくなるまで血のなかで舞いつづける・・・」


 仙助もまた、「小刀ドスの仙」と呼ばれた元極道やくざの夜鳴き蕎麦屋とは微塵も感じさせぬ貫禄である。

 

 仙助は、中村にゆっくりとちかづく。それから、指が四本しかない掌を、中村の肩に置く。


 その掌の動きは、心を許した者を心底いたわるかのような、そんなやさしさがこもっているかのように感じられる。

 

 その瞬間、無言のまま相貌かおを伏せている中村の指から、今井の頸がはなたれた。


 今井は、土の上へと静かに落下してゆく。

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