柳生の名・・・
「柳生か・・・。柳生がなにゆえこれに・・・」
佐々木が、うめいた。
佐々木も、中村をしっている。まぁ、しっていてもおかしくはないか。
東町の筆頭同心としてならば・・・。
佐々木が町奉行の同心をみ、これだけ動揺するだであろうか。
今井なら、もしかすると・・・。なぜなら、同心を殺害した可能性があるからだ。が、その今井以上に、佐々木も驚いている。
たしかにいま、佐々木がうめいたのは、柳生という名である。同心、という職名ではない。
ということは、かれが動揺しているのは同心としての中村ではなく、柳生新陰流の剣士としての中村なのであろうか・・・。
それにしても、中村がこれほど有名なのだとは・・・。
「ふんっ、剣術指南役の家系だとて、実戦のなんたるかはしらぬはず・・・」
今井は意味不明なことをのたまい、腰から得物を抜く。
わずかな灯火のなか、中村が眉をひそめた。
今井に殺気が満ちるのに呼応し、ほかの三名の隊士たちも、いっせいに得物を抜きはなつ。
坂本を、厳密には坂本のダミーを斬った桂も、いまは太刀を抜きはなっている。
いまや、かれら全員に殺気がみなぎり、全身からそれを放出している。
林の右横で、斎藤もまた得物を抜く。自慢の「鬼神丸国重」である。さらに、林の左横では、永倉が「播州手柄山」を抜きはなつ。
それは、林が襟首をつかんでいる二人を牽制するためであることはいうまでもない。
「死にたくなくば、おとなしくしていろ」
斎藤の低く鋭い恫喝。だが、相貌にはさわやかすぎるほどの笑みが浮かんでいる。それがたいそう場違いに感じられる。
「いざっ」
立場や殺人の容疑者であることは別にしても、今井は剣士である。上段の構えは、示現流をも髣髴とさせる迫力がある。
これが、師をして封印せしめた業なであろう。
「だれかと勘違いしておるのではないのか?」
中村は、口中でつぶきながら草履をぬぐ。
新撰組のなかにも浪士たちのなかにも、斬りあう際に草履をぬぐ者がいる。
おれは、道場のときとおなじ状況をつくろうとしていると思いこんでいた。つまり、草履だと攻守がしづらいのだ、と。
不意に、中村がわずかに掌をあげた。副長をはじめ、おれたちに掌をだすなという合図にちがいない。
そのとき、おれのすぐうしろにいる仙助が歯軋りした。
視界の隅で、相棒がお座りし、こちらをじっとみつめている。中村の合図のなかに、相棒への指示も含まれている・・・。そう直感する。
「はっ!」
今井と同時に気合を発したのは、その横の隊士である。名前はわからない。相貌から、渡辺かもしれない。その隊士は、脇構えをとっている。家屋内での闘争に慣れていないのか。あるいは、それが得意なのかはわからない。
「まてっ、やめろっ!やつは、やつは危険だっ」
佐々木の悲壮なまでの叫びは、今井ともう一人の隊士の気合にかき消された。二人とも、一気に間合いを詰めるべく、地を蹴る。
だが・・・。
「遅い。遅すぎるぞ・・・」
その二人の斬撃は、不発以前のことであった。