肉迫する殺気
くぐもった悲鳴につづき、人間と相棒の怒声が、階下からのぼってくる。
「ゴー!グッド、ゲット・ビハインド・ゼム」
山崎は、おれが教えた英語の指示を的確に相棒に与えている。
シチュエーションは、おれの頭のなかに入っている。それは、資料はもちろんのこと、様々な作家や漫画家から得たものである。すべてを鵜呑みにするつもりはない。だが、それらは襲撃者の習性におおいにならったものである。
階段をのぼるために向けた背。これを襲うことは、襲撃者にとっては常套手段である。
山崎は、背をみせ階段を一つ二つのぼったところで相棒に指示した。
まだ鞘から刀身を抜ききっていない、暗殺者たちを襲うようにと。
山崎は、相棒が噛みついたり威嚇したりしている間に階段から逃れ、裏口へと駆け去ったであろう。
「くそっ!もうよい。ほうっておけ。上だっ、いそげっ」
野太い怒鳴り声につづき、ばたばたどたどたと階段を駆けあがってくる音。
相棒も、ひとまずはお役御免である。怒声がやんだ。
連中は、坂本を暗殺することに意識を集中している。相棒がどうして追いかけてこないのか、ということに気がついてもいないはず。
連中は、ついにやってきた。坂本龍馬と中岡慎太郎が談笑しているはずの部屋へ。
「藤吉、ほたえなっ!」
階段と廊下をどたどたと駆ける音をききとがめ、坂本はそう叫ぶ。
「それにしたち、ひやいな」
それから、坂本は中岡にむかってつぶやく。
坂本が風邪をひいていようがいまいが、この夜の冷えは尋常ではない。窓の木戸はもちろんのこと、廊下側の襖も閉ざされている。
部屋のなかに一つだけある燭台の灯心からのぼるちいさな炎は、閉ざされた襖の向こうにまで迫った殺気に怯え、震えている。
そのちいさなゆらめきは、床の間の掛け軸にうつしだされた坂本の影もまた、ゆらめかせる。
「坂本殿、十津川郷士の者でござる」
野太い声が、襖の向こうでそう告げた。