醤油専門店の絶品醤油
そとはすでに、夜の帳がおりている。
数名ずつのグループにわかれ、副長の別宅から別々のルートで「近江屋」にむかい、そこで合流する。
「近江屋」には、すでに鳶と小六がいた。二人は無事に坂本と中岡を、あたらしいかれらの隠れ家へと連れていったらしい。道中、とくにかわったことはなく、尾行けられたり見張られていたりといった気配も感じられなかったらしい。
偶然、薩摩が坂本と中岡のことをしったか、あるいはあの奇抜すぎる変装をみ破って副長の別宅まで追ってそこで害そうとした・・・。その可能性は、かぎりなく低い。
素顔でのりこんでき、二人がいないとしって相貌をみたおれたちを口封じの為に消そうとした、というのなら話はべつであるが。あるいは、最初から二人があそこにいると確信し、確認することもなく無差別に殺ろうとしたか。
そんな推理より、最初から副長を狙っての兇行だと考えたほうが自然である。
もともと狙っていたのだ。「人斬り半次郎」は、副長を殺ろうとしている。それがまだ継続中にちがいない。
だが、副長をたまたまみかけて尾行けて別宅をみつけたにしては、まとまった人数であった。それとも、すでにみつけていて、たまたま今日襲ってきたのであろうか。
どちらにしても、副長がいついくかはだれにも予測できない。さきに別宅の存在をしっていたとしても、副長が今日、あの時刻にいくということはわかるはずもない。
おれたちが副長よりさきに別宅にいったとき、相棒の耳鼻センサーになにもひっかからなかった。「人斬り半次郎」のにおいはしっているので、さきほどはたしかに過剰に反応したが、まったくしらないにおいをキャッチしても反応する。つまり、不審者や見張りがいたらしらせてくれるわけである。
そのしらせがなかったのだから、おれたちがいった時点では見張りはいなかったことになる。
とすれば、あと考えられることといえば・・・。
おれたちは、厚かましくも「近江屋」で夕食をご馳走になっている。
鰯の煮付けに野菜の煮炊き、それに味噌汁に白飯。それを店の奥にある厨で、立ったままいただく。これだけの人数である。わざわざ部屋に膳を準備してもらうにはしのびない。是非にという主人に、副長はここでいいから、と丁重にことわったのだ。
「近江屋」の細君は峰吉からきいたといい、相棒のために沢庵を準備してくれていた。
醤油屋だけのことはある。現代でも幕末でも、煮炊きや煮付けはもちろんのこと、なにかと醤油をぶっかけては喰っていたが、これほどうまい醤油に巡りあったことはない。塩分のことがなければ、ばんばんかけたいくらいである。
生卵・・・。茶碗に盛った飯の中央部分をくぼませ、そこに卵を割りいれる。ぷるんとした黄身と白身、そこに醤油をたらせば・・・。それだけで何杯でもいけそうだ。海苔でもいい。味付け海苔ならなおいい。長方形にカットした味付け海苔にちょいちょいと醤油をつけ、それで一口大分の飯をくるむ。
うーん、どちらも最高である。
おれには濃い味付けも、関東からやってきた副長たちにはちょうどいいようだ。数時間前にあれほど蕎麦を腹に詰めたにもかかわらず、立ったまま無言で食す。
「近江屋」の細君もまた、できた女房である。新撰組のほとんどが東の出身であることをしっていて、その味付けにあわせてくれたにちがいない。
山崎と林とおれにはほんのすこし濃かったが、それでも手料理はうまい。自分でも驚くべきことだが、飯を三杯おかわりしてしった。
また太ってしまう・・・。
「いったいなに者だ、あんたたちは?」
不意に、原田が尋ねる。
食後、茶をすすっているときである。
原田だけではない。全員が、おなじことを問いかけをしたいはず。
その視線のさきには、中村と仙助が・・・。
中村は、黒の紋付と袴姿に戻っている。
「やめねぇか、左之っ」
ぴしゃりといったのは、悠然と茶をすすりつづけている副長である。
副長は厨に一つだけある卓の上に湯呑を置くと、中村をまっすぐにみつめる。その鬼の一睨みを、中村は堂々と受けとめる。
「信じていいんだな、おめぇらを?」
たった一言である。
中村、そして仙助は、無言のまま深く頷いた。
歴史的暗殺事件は、もうまもなくおこる・・・。