今生の別れ
「けんど、あしが死ななければ、将来がかわってしまいやーせんか」
しばしの沈黙の後、坂本は副長に、ついでおれに視線をむけ尋ねる。
おれのことをしらぬ者たちは、その意味をはかりかねているようである。
「ぬかりはねぇ・・・」
副長は、ただ一言そう応じる。
坂本は、視線をまた副長へと戻す。しばしの間、からまりあう両者の視線・・・。おそらく、無言のやりとりをしているにちがいない。
「坂本、それに中岡、無念だろうが命あってのものだねだ。おめぇらは死んだことにして、その分、どっか異国で・・・。坂本、おめぇがいっていたように、船で旅をしろ。どこかあたらしい地で生きぬけ。てめぇらなら、どこでなりともやれるだろう。おれたちとはちがうだろうからな・・・」
「坂本さん。おれは、グラバーに会って直接話をしてきました。かれは、あなたのことを案じています。しかし、どこかから圧力がかかっているようです。長崎にくれば、どうにでもしてくれる、と。その言葉に嘘はないはずです」
副長の言葉に黙したままでいる坂本に、告げる。喰いさがるといっていいかもしれない。
「はやいっさんききゆう。おまんらは、なぜそこまでしてくれるがかぇ?」
坂本は、全員をみまわす。そのとき、一人だけその視線のとどまる時間が長かったことに、気がついた。
副長のイケメンに、不敵な笑みが浮かぶ。
「こいつが・・・」
そういってから、こちらを顎でさす。
「おめぇらを生かしたい、と願ってる。おれはこいつに借りがある。おめぇとおなじように、死ぬべきだったはずのところを助けられた。その借りを返してぇだけだ。それから、おれもこいつとおなじで、おれ自身おめぇらがいやじゃねぇし、できれば生き残ってほしいと思ってる。だからだ。それ以上でも以下でもねぇ・・・」
全員が、副長とおれをみる。
正直、動揺してしまう。まさか副長が、そのように思っているなどとは・・・。
あの雨の夜、副長はもともと死ぬはずではなかった。なぜなら、副長はその二年後に蝦夷で死ぬことになっているからである。おれがいようがいまいが、副長はあの雨の夜、自力できりぬけられたのだ。
いや・・・。もしかすると、もともとおれがあの雨の夜にあそこにいたことで助かり、その後があるとでもいうのであろうか・・・。
「無念やか。すべてをやり遂げたかったやか。でも、おまんのいうとおり命があってこそ。そうにかぁーらん、龍馬?」
中岡が苦笑とともに、坂本の肩をぽんと叩く。
「まっこと、おまんらは大馬鹿やき。やけど、おれはほがなおまんたちが大好きやかし、心から礼をいわせてほしいやか」
坂本の化粧の落ちきっていない相貌に浮かぶ苦笑。
いつものごとく、一人一人の肩をばしばしと叩いてまわる。
「あっ、坂本さん。どうか沢村さんも同道して下さい。この意味、わかりますよね?」
肩を叩かれた際に、告げる。坂本の相貌に驚きの表情が浮かんだが、すぐに理解してくれた。
「大丈夫です。かれは、いわば事故のようなものです。いなくなったところで、どうのこうのということはないでしょう」
「こうるさい女房みたいなやつやけど、ほきも大切なとぎやか。必ずつれてゆきゆう・・・」
坂本はそう約束し、ふと真顔になってある一人に視線を向ける。それは、さきほど視線をとめたとおなじ人物である。
「おんしゃぁ?どこかで会いやーせんやったか?」
「・・・。ええ。あなたを捕縛する命を受け、伏見奉行所の助太刀にかりだされましたので、もしかすると「寺田屋」でお会いしたのかも」
中村である。
中村がいったのは、「寺田屋」の襲撃事件のことである。伏見奉行所が、「寺田屋」に潜伏していた坂本を襲撃した。そのときのことをいっているのだ。
ちなみに、坂本・中岡暗殺の実行犯である今井が詮議を受けた際、その「寺田屋」で坂本が捕り方を殺害したことから、暗殺をおこなったと供述している。
「いんにゃ。あのときは真っ暗やった・・・」
坂本は、しばし中村をみつめる。が、まるでなにかを思いだしたかのようにはっとし、慌てて「ようにすみやーせん、人ちがいのようやき」と、つぶやいた。
坂本と中岡は、別れを告げると御高祖頭巾をかぶって去っていった。
護衛と道案内をかね、鳶と小六を連れて。
二人をみたのは、これが最後であった。