大石鍬次郎という男
幕末にきたばかりのころ、相棒と追跡した武田観柳斎のことを生理的にだめだと思った。
その男は、生理的云々以前にかかわりたくないというのが第一印象である。
その男とは、大石鍬次郎。新撰組では、隊士として通常の任務をこなしているのではなく、裏の仕事、つまり暗殺を主にこなしている男である。
斎藤がこれまでおこなっていたことを、いまはその大石がおこなっている。
斎藤は、表向きはおねぇについて新撰組から離党したことになっている。副長は、それがあってもなくても斎藤を裏の任務からはずそうとしていたのではなかろうか。はやい話が、江戸での徴募で大石を入隊させたのは、かれにすべての穢れ仕事を任せ、斎藤には表の仕事のみをさせる為だと推察している。
「相馬」
大石に声をかけられたのは、散歩からかえってきたタイミングである。散歩というのは、相棒のことではない。子どもらである
ここのところ、市中がだいぶんと騒がしくなってきている。子どもらも自分の身は自分で護れるだけの器量と要領はある。だが、下手に正義感ぶって騒ぎでも起こそうものなら、大変なことになる。というわけで、一日に一度、相棒の嗅跡訓練という名目で、子どもらを外で遊ばせている。
この日は、野村と非番の十番組の伍長林が付きあってくれた。
「はい、大石先生。なにか御用でしょうか?」
背後、しかも間合いをおかした位置から声をかけてきた大石に体ごと向き直り、まず返事をする。それから、丁寧に尋ねる。
大石とは、すこしまえに黒谷の家老田中と副長が狙われた際、護衛をしたときに組んだ。しかし、そのときにはろくに会話もしなかった。相棒への指示を英語で覚えさせるのに苦慮した、という程度の接触だった。
大石は、小柄で小太りである。筋肉もついているのであろうが、贅肉のほうが勝っているにちがいない。髷を結ってはいるが、手入れを怠っている。髻も鬢もほつれている。なにより、その相貌である。いかにも暗いことが好きそうな、そんな陰気な表情をしている。そして、いかにも幸が薄そうである。さらには、その雰囲気が、人斬りの河上玄斎とおなじく、一種独特のものを強く発している。サイコパス・・・。この男もまた、任務や依頼だからというわけではなく、好きで人を斬っている類の男なのである。
「おまえ、伊東と懇ろなんだってな?やつに弱いところはあるか?癖でもいい。教えろ」
営業一課に属するおれに、営業三課の大石が「OX商事の部長、酒と女とどっちが好みだ?」ときいてきているようなものである。取引先の部長を好みの餌で接待し、奪おうとしている。もっとも、今回は奪った上で殺るのだ。奪ってくれたほうがかえっていい。だが、一社会人として、いや、組織に属する者として、これはあまりに非礼であろう。
笑顔をひっこめ、だんまりをきめこむ。大人気ないな、と内心で苦笑しながら。
「無礼じゃないですか、大石先生」
「そうだよ、えらくもないのに態度がでかいよ」
「そうそう、主計さんがいくら下っ端でも、いまのはひどいよ」
市村をかわきりに、大人の事情をしらぬ子どもらがいっせいに非難する。まぁ、最後の田村の下っ端発言はスルーしておくとして、うれしくなってしまう。
「兼定だってそういっている。そうだ、兼定、噛みついちゃえ」
泰助が相棒の綱を握っている。子どもらのなかでも最年少のかれは、さらに大人の事情がわからない。いうなり、相棒の頸から綱をはずしてしまった。
もちろん、相棒がそれに従うわけはない。すこし困った表情になったが、妥協案としてその場にお座りし、視線だけを大石にぴたりとつける。
「餓鬼ども、やかましいっ!それに、犬などけしかけやがって。しっ、しっ!おれは犬が大嫌いだ。ちかづけるんじゃねぇっ!」
大石は、大人気なく気色ばむ。両掌で追っ払うジェスチャーをする。
もちろん、相棒がそれに従うわけはない。すこし笑ったような表情になったが、すぐに生真面目な表情に戻して大石を睨みつける。
「大石先生、先生でも兼定にはかないませんよ。兼定は強いんです」
「なんだとっ、野村っ!」
ああ、野村。ことをでかくする男・・・。
野村の悪気ゼロの言葉に、気の毒な大石はさらに興奮する。
「大石先生、まあまあおさえて。新撰組一の遣い手が、子ども相手にむきになっても仕方ありますまい」
さすがは林。雑賀衆の末裔は、柔和な笑みとともに間に割って入る。大石の喜びそうな言葉をつかうあたりも大人な対応である。
「大石先生、どういう意味で問われているかはわかりませんが、おれはすべてを副長に報告しています。副長にお尋ねになるのが筋というものではないでしょうか?」
おれも、大人な対応を心がける。
大石は、おねぇを暗殺するにあたり、弱点をしっておきたいのである。だが、この作戦は、ほんのわずかな者しかしらない。それを屯所の玄関先で声高にきいてくるとは、その器量がしれるというものであろう。
「生意気なやろうだ」
大石はその一言と唾を、地面に吐き捨てる。こちらを睨みつける瞳に狂気がゆらめき、ぞっとするほど冷たい笑みで口許が歪んでいる。
こぶりの肩をいからせながら去ってゆく大石の背をみつめながら、ふと思いいたる。
坂本や藤堂は生かそうとしているのに、おねぇはそうでないのかということを・・・。