兼定御殿
「おいっ主計、できたで」
夕刻、子どもらと相棒と連れ立って屯所に戻ってくると、門のまえで大工の恰好をした男が立っていて呼びかけてくる。ねじり鉢巻きに腹巻、尻端折り、腹巻にはとんかちや鉋が差し込まれている。
その大工は、おれたちの姿をみると掌をふりつつ駆けより、親しげに話かけてくる。
「すみません、どちら様でしたか?」
おそらく、社会人として失格であろう。それを強調するように、申し訳ないモードで丁寧に尋ねる。
「なにいうてんねん、わしやわし。三番組の伊藤や伊藤」
「ほんとだ。死んだ参謀とおんなじ名前の伊藤先生だ」
「なにいってんだ、泰助!参謀は死んでいない。どっかにいっただけだ」
「そうだぞ、泰助。気持ち悪いから、新撰組から追いだされたんだ」
「ほんと、気持ち悪かったよな。あれが男か?全然、武士っぽくないし・・・。くねくねしながら、桜の木はなんたらかんたらってつぶやいたりして・・・」
井上の甥の泰助をかわきりに、子どもらがおねぇの批評をはじめた。
この時期、泰助の勘違いは正直いって笑えない。しかも、子どもらは大人の事情を理解できていないので、隊士が噂する端々をききかじり、自分なりに曲解妄想捏造してしまっている。
が、最後の市村のは笑える。おねぇが句作しているところを、みかけたのにちがいない。
「鉄、副長から「茶がぬるい」とか「茶が薄い」って叱られたら、いまのことをそのまま告げるといい」
「ええっ?なにそれ、主計さん。どういうこと?」
市村は、綱を握る掌をぶんぶんと振ってから、相棒と瞳をみ合わせる。
「いいから、だまされたと思って」
そういってから、謎めいた笑みを浮かべてみせる。
「おいおい、わしのことはどうなってるんや、え?」
おっと忘れていた。その大工を、上から下まで二度見する。
「伊藤先生?三番組の?」
大工の恰好だったらわからなかったが、そういわれてみたら似ている。
「しつれいなやっちゃな・・・。このまえ約束した兼定の小屋、できたで」
「あぁやはり、参謀とは漢字ちがいの伊藤先生」
「せやから、そうやいうてるやろ」
ぽんぽんとかえってくる大阪弁。まるで漫才をみているようである。なんと心地いいことか。
「ほんま、ええ迷惑やな。伊藤っていうたほうがよっぽどはやいしかんたんやのに、みんな、わざわざ「参謀とは漢字ちがいの伊藤」っていうてな。どういうこっちゃ?」
伊東と伊藤。さすがに、おねぇがいたときに「伊藤っ」と呼び捨てにしづらかったのであろう。おねぇが新撰組から離党した後でも、その習慣だけが残ってしまっているにちがいない。
「うわー!すごいね」
「やったな、兼定!」
「主計さんも寝れるんじゃない?」
ご立派としか表現のしようもない。裏庭の片隅に建てられた御殿。犬的にいえば、もはや小屋ではない。まさしく、御殿。隣に建つ物置より立派である。
玉置のいったとおり、おれも眠れるかもしれない。もちろん、するわけないが・・・。たぶん・・・。
「さすがは元大工さんですね、伊藤先生。これ、すごくいいにおいがします。木材など、調達するのにかなりの金子が必要でしたよね?おれ、つぎの給金には支払いますので、いくらか教えて・・・」
犬小屋に用いられた木材。詳しくないが、みためになんかすごそうだ。それに、これぞ新築のにおいって感じである。新築の日本家屋そのもののにおいがする。
「総檜や」
伊藤は、この寒空のなか額に汗を浮かべていて、頭から鉢巻をほどくとそれで汗を拭いつつ、しれっと応じる。
「ああ、檜。それはいいにおい・・・。ええっ!檜ですってーーー」
おねぇみたいに叫んでしまった。
「原田先生のところから、荷車で運ばれてきたんや。つこうてくれいうてな」
「おまささんのところから・・・」
力なく、その場にくずおれる。
「今夜、みんなでここに泊まろう」
「兼定といっしょに寝るんだ」
「お布団、運ばなきゃね」
「羊羹もってこよう」
「あ、饅頭も隠してたろ?」
子どもらは、相棒と小屋のなかにさっさと入ってしまう。
かれらは、今夜のパジャマパーティーの打ち合わせで盛り上がっている。